能登の民俗文化財の行方 「いま改めて民俗文化財を考える−災害の問題、廃棄の問題」
能登半島地震では、無数の家や蔵、寺院が倒壊し、輪島塗をはじめとした民具や文化財が大量に行き場を失っている。
能登半島には、「民俗資料館」は羽咋市にしかない。奥能登はゼロだ。かつては輪島市立民俗資料館があり、6000点の民具を集めていたが、2011年に収蔵品は公売にかけられ、多くは廃棄されてしまった。その経緯は「能登のムラは死なない」に書いた。(https://note.com/fujiiman/n/n3801c7465674?magazine_key=me111971680b4 にも紹介)
能登の行政が、被災した文化財や民具を積極的に保護するとはとうてい思えない。なんとかすることはできないのか−−そんな問題意識で民博で開かれたシンポ「いま改めて民俗文化財を考える−−災害の問題、廃棄の問題」に参加してみた。
民具を集める意味
神野善治・民具学会長の基調講演はおもしろかった。
沼津の歴史民俗資料館の学芸員時代、魚をとる民具「ウケ」の特別展をした。話題をつくるために富士川の世界最大の8メートルのウケや世界中のウケを借りた。さらに、横井庄一さんがジャングルで手作りしたウケも展示したら大反響だった。
民具がそのまま展示してあっても「古くさい」だけだが、ストーリーをつくることによって、博物館・資料館は魅力的な場になる。優秀な学芸員の存在意義はそこにある。
秋田には油谷さんという91歳の人があつめた50万点の「油谷コレクション」がある。20万点は秋田市に寄贈したが、残り30万点を展示する資料館づくりが計画されているという。
高知県の檮原町では、ひとつの鍛冶屋さんが70通りのクワをつくっていた。大量のクワを集めることでそうした事実が見えてきた。「集める」ことが大事なのだ。収蔵庫に分類されないまま放置されているモノにこそ新しい発見の芽があるという。
「断捨離とかシンプルライフがもてはやされ、古いものがどんどん捨てられている。博物館でも民具が廃棄されている。それでいいのか? 数万点レベルは博物館としてはあたりまえです」
能登では、蔵に輪島塗の膳が50とか100とか保管されていることがある。その場合ひとつだけ残すのではなく、そのセット性が生活のあり方を見せてくれる。現代美術館で、生活用具をボリュームをアートとしてとらえる動きも出てきているという。
私も7年前に段ボール20箱ぶんの写真のネガや取材ノートを断捨離してしまった。貴重なものもあったはずだ。もったいなかったかもしれない。
文化財レスキューで時間稼ぎ
文化財防災センターの小谷竜介さんは、 能登の文化財レスキューについて報告した。
つぶれた寺院や家屋から、仏像や絵馬などの文化財を救出する。その際、大量にある輪島塗や屏風をどこまで救出するか、キリコはどうするか……が問題になる。玄関に1本だけある漆塗りの柱を「救ってほしい」という依頼も多い。
全半壊した家の住民は「もう捨ててください。(処理が無料のうちに)処分したい」と言う例が多い。そこで「とりあえずあずかりますので、もうちょっと後で考えませんか」と提案する。
さらに、あずかりっぱなしにしないで1年ごとの契約などにして関係をつなぎ、もう一度個人の家にもどすことをめざす。
「地域の文化総体を残すため、可能なかぎり一括してもっていくのが大切。捨てたらとりもどせない。モノを地域で残すために全体を救出して時間を稼ぐ。地域の人の大切にしてきたものを守るのがレスキューの本質です」
民博の日高真吾さんは、2007年の地震で壊れた穴水の明泉寺の台燈籠の修繕にかかわり、江戸時代に鋳物で栄えた穴水町の中居集落とかかわりをもちつづけてきた。2024年の地震後も台燈籠修復や、珠洲市の寺院の仏像救出などにかかわっている。
「(救出した文化財は)廃校に一時保管している。住民がもどってきてその家にもどせないときは廃棄の可能性もでてくる。地域の人が『民具っておもしろいね』と思ってくれないといけない」
中居の歴史は私も調べ、台燈籠もよく見ていたのでなつかしかった。
(#能登のムラは死なない https://amzn.asia/d/1DjuEwC 参照)
唯一の県立民俗博物館
「奈良県民俗博物館」(1974年開館)の存在もはじめて知った。県立の民俗博物館は全国唯一で4万5000点のコレクションがある。ところが2001年までは5人いた学芸員が2020年にはゼロになった。学芸員が減って09年を最後に特別展を開けなくなった。利用者は先細りになり、昨年7月で休館になってしまった。山下真知事は収蔵品の一部廃棄にも言及した。
山下知事は維新だから、大阪で吹きあれた「文化の切り捨て」が奈良でもおきたのか、と騒がれた。
私は維新はきらいだけど、少なくとも若いころの山下氏は良識人だったから、そう簡単に「民俗博物館をつぶす」とはならない……と信じたい。