再び、インサイド・アウト
みなさん、おはようございます。フジガッキーです!
今日のテーマは、「再び、インサイド・アウト」
今読んでいる『完訳 7つの習慣』では、まず第1部の最初に「インサイド・アウト」があり、そして最後の第7の習慣「刃を研ぐ」を読み終えると、最後に「再び、インサイド・アウト」という構成になっています。
なので、「再び、・・・」です。
このnote投稿でも、以前「問題の見方こそが問題」の中で取り上げさせていただきました。
「インサイド・アウトのアプローチ」=まず自分自身の内面から始める
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ということで、この「再び、インサイド・アウト」のなかから、
心に残った、珠玉のことばの数々を引用、ご紹介します。(太字は筆者の独断で表示しました。)
「刺激と反応の間にはスペースがある」
私はこの考え方を繰り返し反芻した。そして、私自身の人生のパラダイムそのものが大きく変わり始めた。まさに自分が自分を観察していた。
そうするうちに、自分の反応は自分で選べるという自由の感覚が私の内面を満たした。
私たちはさまざまな脚本に従って生きている。
前の世代から引き継ぎ、特に意識することもなく当たり前のように受け止めてきた脚本の中には、私たちに良い影響を与えているものも少なくないのである。真の自覚とは、そのような脚本に感謝することである。
原則中心の生き方を教え、今ある自分を育ててくれた先人たち、自分の将来の可能性に気づかせてくれた先人たちに感謝することなのだ。
根本的な変化はインサイド・アウトから始まるものである。葉っぱだけをいじる応急処置的な個性主義のテクニックで態度や行動だけを変えればすむものではない。根っこに働きかけなくてはならないのだ。自分の根本的な考え方を見つめ、自分の人格を形成し、世界を見るときのレンズとなっているパラダイムを変えなければ、本当の変化は生まれない。
そして最後に、私信として締めくくりにある言葉です。
私は今も、この本に書いたことを実践するために必死に努力している。このような努力は価値があるし、必ず満たしてくれる。それは私の人生に意味を与え、人を愛する力、奉仕する力、挫折しても何度でも立ち上がる力を与えてくれる。
最後に、T・S・エリオットの言葉を紹介したい。私自身の発見と確信をみごとに言い表わしていると思う。
「探究に終わりはない。すべての探究の最後は初めにいた場所に戻ることであり、その場所を初めて知ることである」
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いかがでしたでしょうか。
私の愛読書『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』からは、
いったんここで終了となります。
最後までお読みくださり、ありがとうございました✨
読み返すたびに新たな感動が心に響く、私の中の羅針盤です!
また、いつかご紹介する日がきっとくると思います。
もしよろしければ、わたしのマガジンもあわせてお読みくだされば
とても嬉しいです!
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