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私はなぜ夫に怒らないのか(雑記)

離婚協議を進めていて、いろいろなことが起こっているけれど、不思議と夫に対する「怒り」の気持ちは湧いてきません。

感情が乱されないのは良いことだと思いつつ、なぜ夫への怒りの感情が湧かないのか、自分で自分が不思議でもあります。

この、「怒らない」というところが、もしかすると「夫の支配から抜けられていない感じ」と繋がっている気がして、考えがまとまらないままですが、noteを書いてみようと思います。

なので、今日は雑記です。
自分の整理のために書いてみます。


夫に怒らなくなったのはいつからか

もうだいぶ前から、夫に怒りを感じていません。
別居から離婚協議に至る中で、悲しさや虚しさ、孤独や絶望は幾度となく感じてきたし、それがとてもしんどかった期間も長かったです。だけど、そういえば、それら感情の全ては「私の内に向いた気持ち」であり、「夫に対する感情」ではなかったように思います。

夫への感情がなくなったのはいつだろう。
もう、明確には覚えていないです。

前に、「夫への情を捨てる選択肢が芽生えた瞬間」のことを少し書いたけれど、この時はすごく怒ってたんですよね。怒りで、はらわたが煮えくりかえるかと思ってた。

でも、今でこそ当時のことを思い出すと「私は怒っていた」とわかるけど、別居を決断してからしばらくは、自分の中に沸き起こっている”怒り”の感情に気づけていませんでした。夫が「俺は育児に向いていない」宣言をしたときも、その瞬間の私は、自分で自分の怒りをキャッチできていなかったと思います。

後になって、「あの時の私はとてつもなく怒っていたんだ」と、自分の感情を受け入れることができ、「他人に対して怒っていいんだ」という気付きがあり、夫への膨大な怒りの感情にも気付いた…という流れだったと思います。(うろ覚え)

別居直前(家庭内別居状態の時)は、いつも怒っていました。
怒りで唇を噛み締めることは日常茶飯事だったし、怒りで胃が痛かったり、頭が痛かったりしました。衝動的にものを壊しそうになったことも、1度や2度じゃありません。

モラハラ的な夫の言動にメンタルをゴリゴリ削られていたけれど、同時にすごく怒っていました。

別居して、体の不調が嘘みたいに消えて、夫の姿が視界に入らなくなって、そのあたりから「怒り」は収まっていったように思います。収まったというか、怒りを感じる機会がなくなった、というか。

ああ、そういえば、別居にこぎつけるまでは、「私は怒っている」「自分の怒りを押さえつける必要はない」と自分を鼓舞していたっけ。別居するまでは、私は夫に対して怒っていました。

別居して、夫が生活空間から消えて、やっと自分の感情と向き合えるようになったと記憶しています。

そうだそうだ、そうやって自分と向き合っている過程で、「”怒り”とはいえ、夫にエネルギーを向けるのはもったいない」と思うようになったんです。

意識的に、夫へのありとあらゆる感情を消去しようとしていました。夫の言動に自分が振り回されないために。夫からの言葉で、自分が傷つかないために。

そうしているうちに、本当に夫への感情が消えた感じだと思います。

なので、夫に怒らなくなったのは、意外と最近みたいですね。別居して3年ちょっとなので、夫への怒りの感情が消えたのは、この3年の変化のようです。


「怒らない自分」と「夫の支配から抜けられていない感覚」

夫に対する怒りの感情について、その変遷を振り返ってみて、「夫の支配から抜けられていない感覚」の正体がわかった気がします。

夫からモラハラ的なことをされていたとき、私は自分の怒りの感情に蓋をしていました。

「怒りを感じていない」という状態は、モラハラを受けているときも、夫への感情を捨て去った後も、感覚が似ているのだと思います。

だから、錯覚したのかも。

モラハラを受けているときは、理不尽に感じられる夫の言動にも理由があるのかもしれないと思い、争いごとにしたくなくて「夫の言うことはいったん受け入れる」という姿勢でいました。

夫は明らかに私のことを蔑ろにしているのに、私はそれですら「理由があるなら受け入れなければならない」と考えていて、なんなら「腹が立つのも辛く感じるのも、私の受け取り方の問題(自分を変えれば良い話)」とまで思っていました。

自分をまったく大切にすることができなくて、夫との間に支配関係ができてしまっていた頃、私は夫に対して怒れなかったんです。

私が怒ることで夫が逆上するのも怖かったし、自分の怒りの感情を認めることで、それまで何とか保ってきたバランスが崩れることも怖かった。

私にとって「怒りを感じない状態」というのは、夫との関係が一番しんどかった頃を想起させるから、それできっと錯覚してしまったんだろうと思います。

夫の支配から抜けられていないわけではない。
その証拠に、私は離婚の意思を強く持って自分が不利にならないように離婚の話を進められているし、NOをNOとして伝えることができている。

もう夫に支配されたりしません。
そのために離婚するのだから。


お互い様

私がここまで夫に対して無感情になれるのは、夫もまた私に対して無感情だからだと思います。

私は、夫から「電子レンジ」のように扱われていたと思っています。

「ないと困るから気にかけるし、メンテナンスもするけれど、家電だから名前もないし人格もないし、自分の言う通りに動かないなんてあり得ない。」

夫に言うと激怒されそうですが、私はそう感じていました。
実際に名前を呼んでもらえなかったしね。嘘みたいな話ですが、結婚した途端に私は夫から名前を呼ばれなくなりました。当時の夫は「照れくさい」などと言っていましたが、自分の所有物に名前がある(=人格がある)という感覚が気持ち悪かったんじゃないかと、勝手に思ってます。

自分の行動に責任を持てる大人同士の関係で、自分の人格が尊重されないのに、相手の人格を尊重する必要なんてないと思ってるので、これからも徹底的に無機質に関わろうと思っています。


「自分の言動を変えれば、相手も変わる」説を信じていた頃もあったけれど、夫との関わりの中で、それが当てはまらない関係性があることを、痛いほど学びました。心身ボロボロになるまで試行錯誤して結局ダメだったので、「やり方が良くなかったのかも」とか「努力が足りなかったのかも」なんて思いません。無理なもんは無理なんです。


相変わらず、夫はこちらを支配しようとしてくるし、自分の保身ばかりで訳のわからないことを言ってくるけれど、同じ土俵になど立ってやるものかと思っています。

あと少し。あと少しなんだ。

無駄にダメージを受けないよう、しっかりと自分を守りながら、離婚の手続きを進めていきたいです。



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ふじこ
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