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「俺は育児に向いてない」

「俺は育児に向いてない」と唐突に宣言されたのは、もう何年も前のこと。
別居を検討するにも至っていない、まだまだ「普通の家庭」でいられた頃の話です。

夫から「俺は発達障害の傾向がある」と申告されたことについては別の記事でも少し触れましたが、当時は、生きづらさやストレスを感じている夫が、どうすればストレスを少なく過ごしていけるかを提案しながら暮らしていました。(今思えば、私ばかりが提案をしていて夫が自分で案を出さなかったのは、相当おかしな話ですが。)

その中で採用されたのが、「夫がメインで家事育児を担当する」という案。仕事(稼ぐこと)にプレッシャーを感じていた夫が「家事育児に全振りしてみる」と言いました。

私は仕事が嫌いではないし(むしろ仕事は好きな方だと思う)、大黒柱の役割が私になっても、それはそれで良いと思っていたので、まずはお試し的な感じで、私が担っていた家事育児関連のメインどころを夫に任せました。毎日の食事の準備や子どもたちの寝かしつけなど、負荷が高めの部分をそのまま夫にスライド。そして、2週間も経たないうちに、「俺は育児に向いていない」宣言がありました。

「向いていないから、サポートしかできない」と。


この時、私の中に、「夫に対して情を捨てる」という選択肢が生まれました。(実際に情を捨てるに至ったのは、もう少しあとの話。)
それまでもいろいろあって、愛情はとうに感じられなくなっていたけれど、家族の形は無限にあるし、情で成り立つ家族も良いかなと思っていました。協力しながら穏やかに暮らしていければ、それもありだと思っていました。

でも夫は、育児に対して「向いてない」「サポートしかできない」と言い、親としての役割から逃げました。夫にそのつもりはなかったかもしれないけれど、私はそう受け取ることしかできませんでした。

「向いていない」から「できない」んじゃなくて、ただ単に「やらない、やりたくない」だけじゃないかと、そう思いました。

おそらくですが、夫の中では、本当の本当に「できない」のだと思います。それを想像することはできるのですが、受け入れることはできませんでした。

同じ家の中にいて、同じ「親」という役割を担っていて、育児なんてどちらもスタートラインは一緒で、子どもたちを育てる責任は両方にあるのに、それを「できない」と言えるその感覚が、どう頑張っても全くわからない。

この発言以降、私は常に「災害や事故などの緊急時に、この人は子どもたちを守ってくれないんじゃないか」という危機感を持つようになりました。

「夫から子どもたちを守る」という感覚が生まれたのも、ここが発端だと思います。「この人に、子どもたちのことは任せられない」と、心の底から思うようになりました。


私のこの感覚はたぶん合っていて、別居してから、夫が子どもたちを気にかけるような素振りは、見たことがありません。まったく理解できないですが、子どもたちのことが気にならないのだと思います。だから親権も監護権も、あっさりこちらにくれたのだと思う。


「俺は育児に向いていない」宣言は、私の中では「離婚の根拠」と言えるくらいインパクトの大きいものでした。このエピソードだけだと「そんなことで離婚を考えるなんて大袈裟な…」となりそうですが、これが最後の一滴となり、コップの水があふれたような感覚です。別居を考えるのは、これよりもっとあとの話だし、離婚を決意するのはもっともっとあとの話。だけど、離婚を決断できたのは、このとき感じた「何かが終わった感」のおかげだとも思います。

なので、その時の落胆と怒りは、今でも鮮明に覚えています。


久しぶりに思い出したので、記録がてら書いてみました。
過ぎたことは戻らない。
未来を見て進んでいきます。

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ふじこ
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