
これは本当の話なんだけど、あの話は 本当の話だったんだろうか?
<私の子供がまだ幼い頃 夫からこんなことを聞いたことがあった>
NHK大河ドラマ「光る君へ」が終わった。その後大河ドラマ「べらぼう」が始まった。「べらぼう」は黄表紙本の元を作った蔦屋重兵衛の物語と聞いている。
【黄表紙】
江戸時代の草双紙の一種。赤本・黒本・青本に次いで安永(1772~1781)頃から文化(1804~1818)初年にわたって行われた黄色表紙もの。粗悪な半紙半せつの二つ折の紙5丁を1巻とし、多くは2巻から3巻を1部とする。表紙題簽(だいせん)も、絵に工夫をこらしたものが多い。内容は洒落と風刺を織り交ぜたもので、従来の子供向けの草双紙から大人向きの読み物となった。恋川春町の「金キン先生栄花夢」が先駆で、作者としては朋誠堂喜三二・山東京伝らが有名
広辞苑
枚方市駅前にある超モダンな「Tサイトビル」なる物が数年前に出来、
枚方市も町から街になった。その「Tサイトビル」が「蔦屋ビル」なのだ。
もともと、地元の小さな?いや中位の本屋があり、枚方市にある唯一の本屋として私たちは「本屋はツタやさん」と言っていたのだ。
枚方にある「ツタヤさん」が 最近 黄表紙本の元祖として、蔦屋重兵衛の黄色表紙本が出版されてから気になりだし、「まさか?」につながらなくもなかったけれど、そのまさかの大河ドラマの蔦屋重兵衛が お膝元の
「蔦屋さん」にあるなんて・・
ところが、もっと思いもしなかったことを 私は思いだしたのだ。
私の子供がまだ幼い頃、ある時 夫が思い出話の中で語ったこと!
夫の中高一貫の私立学校在学中の時、ツタヤ君と同じクラスだった。
その頃のこと、思いもかけない 蔦屋君から相談を受けたことがあった、と
いう。その相談とは・・
蔦屋君は一人っ子で跡取り息子だった。父親は「パチンコ」と「ラブ・ホテル」を経営。 父親の仕事を受け継ぐには 相当な抵抗があったらしく
「なにか 別のことをはじめたいが 何がええかなあ?」と相談された、
とのこと。高校生の夫は真面目だったし蔦屋君も真面目だったので「本屋が ええと思うよ!」と言ったら、「ふ~ん、本屋か~!」と納得したそうだ。
その頃の夫が 蔦屋さんのご先祖が あの黄色表紙本の元祖であったと
いうことを知っていたのだろうか?
知っていたなら? いや、全く知らなかった?としても・・
偶然、「本屋」と言う案が 閃いたのは?! 偶然?
夫が生きていたら そこを知りたいと思った。
しかし、黄色表紙本の話は江戸の話、こちらは関西・・
蔦屋家は 江戸から関西へ流れてきたのか?
流れて来たなら なぜここ枚方に?という、そこが知りたい!
それとも 直系でなく、親戚?
その後、蔦屋君は「本屋」のこのアドバイスに喜んでいたらしい。
夫のアドバイスを実行したのか?それとも、ご先祖様に導かれて本屋に戻ったのか、わからないけれど、本屋として「大きなツタヤビル」は 枚方市の目玉ビルになったし、小さな関西の田舎の町が 街に出世したのは間違いなかった。
夫は蔦屋君のご先祖のことを知っていたのか?
蔦屋君は自分の先祖のことを知っていたのか?
いやはや、「その頃とは」夫が高校生の時だから蔦屋君も高校生だ。
夫からこの話を聞いたのは 私たちが千葉に住んでいた頃のこと、。まだ
大阪転勤の話もなく、転勤になったとしても この枚方に住むとはついぞ
思ってもいなかった時期なのだから・・
夫が生きていれば そこのところを聞いてみたかった!のに・・残念無念!