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「さみしい」と いうのは・・・

「あたたかいアールグレイの目覚め」の夢を見てから

私は 娘のことを想う時 少し「さみしい」気持ちに変化が出てきたような気がする

ポジティブにとらえるなら

「悲しさから余裕という距離をあけられる」ようになったような気がする


私たちは 日々、前を向いて歩いている

だから これからの事ばかり心配しているようで

過ぎ去ったことを 振り返る時

私たちは 心配ではなく 後悔をすることが 多い 


「さみしい」という字には

「寂しい」と「淋しい」の二文字がある

これは どうしてなのだろう?


<「新漢和辞典」大修館書店で引いてみると>

☆「さみしい」というのは「【形】□の中に『文』さみ・し(シク)サビシイ」の転」とあり

・「淋しい」:リン(1)そそぐ。水をそそぐ(2)したたる。滴り落ちるさま 長雨。「霖雨」(中略)(5)物の様子の形容。 淋代:さびしみ

・「寂しい」を引いてみると 出て来ない。(この辞典の改定が昭和58年で古いのかもしれないけれど…) 

・「むなしい(画数11画)で変画不能」に「むなしい」という字がある


「さみしい、さびしい」という気持ちは 

時間と共に微妙に変化し、それと共に「字」も変わるのでは…


「さみしい、さびしい」には

*涙を流すさみしさ;「悲しい」、「悲哀」に類する「淋しい」と 

*時が流れて、涙が枯れ、心が空しい・虚しい;「寂しさ」の

二つが あることを 知った。 


私の 「今のさびしさ」は 後者ではないか?と思う

思い出すことが 多少、少なくなったけど

より喪失感が深まったような気がするのは

そういうことなのだ


いつの日か この「寂しさ」から どんな漢字に変わるのだろう?

「心、気持ちの変化」に伴う漢字の面白さに

今、 気づいたような気がした

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