年をとっても清潔なおばあさんでいたい
いつ頃からこんな目標ができたのか?
ベッピンさんでもなく、スタイルもいいわけもなく、
色気もなく、話術に長けているわけでもなく
いろいろな習い事をしたけれど、10年と続かず
ただひとつ続いているのは 我流のピアノだけ
母から「女は笑顔 男は度胸」と聞いていて
終生「笑顔」を持ち続けたい! と思ってはいたけど
人生 そう甘くはなかった
娘時代「笑顔が 唯一の美人に見える条件だ」と 思っていたけれど
しかし、結婚して46年間
私の口は貝になり
私の感情は フリーズしたまま
50年目に
数個の「重石」の最期の一つが はずれた時
私は 自由になった
その時
気付けば 私は80才になっていた
後、どれくらい私は「生」を 与えられているのか…?
私にとって 「死」は ちっとも怖くはない
しかし
これからの「老いていく生」を どのように 生きるか…?
それが 問題なのだ!
私たちは「老い」を自覚するその時まで
努力して身に着けてきたこと
それを
「老い」は 折に触れ、ひとつづつ
「何かを 奪い」そして「消し去っていく」
それを 抗うことなく 受け入れられるか?
せめて、
何もかも無くしてしまったとしても
私は 「高貴」でありたい
しかし、
「高貴」など、身に着くはずもなく
只々 「清潔感」だけは 死守したい
だから、私は「清潔感のある老婦人」を 目標にしている。
そのために 私は何をすればいいのだろう?
美輪明宏さんが 言っておられた言葉
「あなた、人は ね、美しい音楽なんか 聴いていて ごらんなさい
うつくしいものを 見たり聴いたりしているとね、
その人が 歩いて来ると 同時にその音楽が流れるようについて来るのよ
オーラって、いうのかしら?」
と、聞いたことがある。
確かに、その人の生きている様が オーラとして出て来るのだ
私は 「老い」を感じる前から 目標をもった
「年をとっても 清潔感のあるおばあさんでいたい」
そのための一日のスケジュールは だいたい決まった
★朝ラジオ体操をする
年を取ると 身体が硬くなる。
特に 朝起きてすぐに テキパキと身体が動かない。腰は痛いし平衡感覚も緩んでいる。午前5~5時30分の目覚めなら、6時25分のラジオ体操迄に 柔軟体操を ゆっくりじっくりやって身体を目覚めさせる。 すると、朝のラジオ体操も 難なくこなせるし、寒い時期など 身体がとても暖かくなって 動きやすい。
寝坊した時は9時55分の「みんなの体操」で 補う
★週3日、納豆+めかぶを食べ、
2~3日は外出するよう心掛ける(お医者さん、良し買物、習い事でもよし、散歩でもよし)
★午前中:掃除、洗濯、PC,「note」
★午後:買い物、ピアノ又はおしゃべり
このテーマ「清潔のマイルール」というのは、
「精神面」と「肉体面」が あると思う
高齢者の「精神面」では「つき合う人を絞っていく」ことが 必要かもしれない。
沢山の友人を持つのもいいけれど、この年になると 体力と気力が許さないせめて近くで、気さくに声を掛け合える人がいるならば、気を使ってつき合わなければならない人は 少人数にしたいものだ。
いくつになっても「見栄の張り合いや競争心が抜けない人」がいる。そのような人は いくらつき合った年月が長くても、変わらないから、そっと 立ち去ることにしている。
高齢者の「肉体面」では、日常の最低限を 淡々とこなしていくことが 大切なのかもしれない。
「自分のことは 自分でする」最低限 このことは出来るようにしていかなければ…
「生まれるのも一人、死ぬのも一人」
贅沢やおしゃれをせずとも 清潔感を持ち続けたい。
それには やはり、「毎日の生活の中で【心に夢を 唇に笑みを】 絶やすことなく生きていけるよう努力する」ことなのではないか?と
私は 思っている。だから、これからも「清潔のマイルール」として 出来うる限り日々努力していくつもりでおります。