Amazonで見た映画(5)
<パーソナル ソング>
どんな人も自分の大好きな音楽がある。 好きな曲には思い出がある。 いい思い出も悲しい思い出も 音楽を聴いてその時々を思い出してしまう。
ダン・コーエンが 六年前介護施設を訪れて気づいたこと、それは「人は音楽で本来の人間性を 取り戻せるのではないか?」年を取ったことで 失った記憶!
どんな質問や声かけにも 反応しなかった認知症の人が ヘッドホンで聞く曲に反応した。どんな曲にどんな想いを 思い出させるか? その人の好きな音楽曲は どんな曲か? それが分からなかった場合、その人の年齢や背景をしらべて推測して選曲して聞かせる。その曲によってその人が どんな反応をしめすのか? それが パーソナルソング!
音楽は 脳の一番広い部分を刺激し、感情を促し 自分を取り戻す。これはカントの「目覚めの哲学」
音楽を聴くとそのリズムに合わせて 自然と体が反応する。それは、人が この世に生まれる前から、母親のお腹の中で 体液の流れる音や心臓の鼓動そして母親の発する言葉の響きを聴いているからだという。原始の時代から 音楽は打楽器から始まったのも 頷けるが、チンパンジーにはない反応だという。そういえば、死しても耳だけは しばらくの間 聞こえている。と!
その昔 民族の中で、長老は「知恵袋」として 大切にされていた。しかし戦争によって、若者が重宝されるようになり民族としての共同体が崩れる。長老の尊厳は 失われ、年をとることが 忌み嫌われ疎まれるようになった
そして、現在では「病院」が人の「終の棲家」となり (この映画はアメリカが背景なので)「病人と貧窮」が一緒になった「介護施設」が出来た。
「病院」は 病院の規則に従い、大量の薬で治療することだけで 病気を治すという使命を果たした。病院や介護施設に入った老人は ほとんどが認知症を発症する。なぜなら、病院や施設に 入れられた人は これまでの環境と違うことになり、戸惑い慣れない。だから「家に帰りたい」という。しかし、帰れない。そして そのうち 生きた屍のようになっていく。認知機能の低下をくい止める方法として、声かけを出来るだけ心掛け 動物や植物を利用しながら「話力を与える」ことが始まった。が、効果は今一つ。それは 施設の生活が いかに孤独かが伺える。
コーエン氏はいう「音楽を聴かせることは 治療行為にならないんだ。だから 病院は薬を出し続けている。しかし、薬は灯を消すだけで 灯さない。それに引き換え音楽は 感情に刺激を与え 灯を灯し自分を取り戻す。自分の好きな音楽を聴くだけで 目覚める。薬を飲まずとも…」と
音楽を聴いたとたん 涙が出た記憶はないか? それが音楽の力なのだ。 そして、「年齢と共に 我々は日々進化している」ということを、忘れてはいないか?
ウガンダのボランティアは 歌い続ける。民族に伝わる竪琴で…
「あなたの心を 癒やしてあげましょう!」と
そういえば、私達現代の介護施設は どうなのか?緩和ケアー病棟に入院した夫も娘も 最高の待遇を受けられた。私の姉も緩和病棟で「讃美歌が好きだ」と伝えた時 病棟の医長さんが 必死になって病院内にある讃美歌らしきCDを 探してくださった。 しかし 老人介護施設はどうなのか?
数年前 父が入った介護施設、最上階にあった特別室でも やはり父は孤独だった。特別室以外の人たちは? 私が階を降りていく度 目に入る老人達大きな部屋に点でバラバラに置かれていたベッド。あれはきっと、介護する人のための配置だったのではないか?突然現れた侵入者を 虚ろな眼差しで見つめる老人たち。豊かな人間性は 失われていた。
音楽は飢えた心に うるおいを与えるのです。
彼らの失われた人生を 取り戻してあげましょう!
コーエン氏の活動によって、アメリカの介護施設のうち650の介護施設にヘッドホーンが取り入れられた。
我が国の介護施設は どうなのか? デイサービスで 歌や音楽それにゲームや体操を取り入れてはいるものの、個人に合わせた「パーソナルソング」なるものは まだ 取り入れられて いないのではないか? そういう点でも やはり日本は遅れているのだ。
人という生命が生まれた時から耳にしている「音」それが「音楽」ならば、それを耳にしたとき、自然と幸せを感じ体が動きだし反応するのも うなずける。 我々先進国と思い込んでいる人達の断末魔の幸せが 本来あったであろう原始の姿にあるのでは…?と 知った時、「人間の原点」を深く 考えさせられる映画でした。
Amazonで見た映画(4)と(5)で 偶然、音楽に関係ある映画を見ることになりました。「人と音」「人間と音楽」は「切っても切れない関係」であり「切ってはならない関係である」ことを 痛感した映画でした。