ショートストーリー 母の香水
ディオリッシモの香水の瓶が、化粧台の上に無造作に置かれてある。
これは母が愛用していたものだ。これが母の香りだった。
母が亡くなって1年になる。
母は美しい人で、私とは、姉妹のように見えるといつも言われていた。少しも似ていないのに。
背が低くて、ずんぐりむっくりな私。
それにくらべて、母はほっそりとした肢体で、長い黒髪。それは死ぬまで変わらなかった。
本当に、私は母から生まれてきたのだろうかと思った。一緒にいても、人の目は、母に、いつもそそがれていた。
母には羨望とある種の嫉妬心が、私の心の中で渦巻いていたのは事実だ。
だから、あんなことをしてしまった。
母には秘密があった。
父以上に長く愛している人がいた。
ときどき母の携帯に電話をしてくる人。
母の上ずった声、一人の女になっている瞬間だった。影で私はそれを見ていた。子供の頃から‥‥‥
母は財政的に破綻した実家を助けるために、財産家の父と結婚をした。
父とは30歳も年が離れているのに、父の妻になった。
美しい若い妻と年老いた夫。
母に他に好きな人がいても、不思議ではない。あの母に、父は愛せないだろう。
ある日、母の携帯を取り出すと、こっそりと盗み見た。
相手の名前は、弘明。これが母の愛人。
ー早く、一秒でも早く君に逢いたいー
狂おしい言葉の数々。私は怒りがこみあげてきた。
二人とも許せない。
私は震える手で、彼にメールを送った。
ーもう、やめて。あなたに対して、何の感情もわかない。
少しも愛していないー
それから、母の様子が変わった。哀しい目をして、私を見るようになった。
母は知っていたのだろうか。私のしたことを‥‥‥
母の携帯に、愛人からかかってくるのを見るのは、それ以来なくなった。
母の愛も終わった。
ディオリッシモの香水の瓶を手にすると、私はそれを首すじにつけた。
母の香りだ。
私の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
ひょっとしたら、母が一番大事にしていたものを、私は奪ったのだろうか。
母をとても愛していたのに‥‥‥ 苦しめてしまった。
ごめんなさいママ。
了
作品掲載 「小説家になろう」
華やかなる追跡者
風の誘惑 他
「エブリスタ」
相続人
ガラスの靴をさがして ビルの片隅で