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遅々として進まない読書

 僕は本を読むのがすごく遅いです。新しく読む作家の本は特に。それには理由があって、文体に体を馴染ませるのに時間がかかるのです。

 文体という言葉は難しいのですが、ここで書くのは句読点を打つ癖程度のことだと思ってください。同じような文章でも「泳いでいる。波が顔に打ちつける。痛い。潮水が鼻を刺激する。それこそが僕には安らぎだった」と、「泳いでいる僕を目掛けて波が打ち寄せ、顔にかかった潮水のせいで鼻が痛い。この痛みを感じることこそが僕の安らぎだった」みたいに、作家ごとに、作品ごとに、そして同作品内でも表現方法が異なります。
 これって、僕にしてみたらドラムのビートのスネアを打つ位置がバンドごとに違うくらいの違和感があります。スネアは3拍目に打つものと思ってたのに、4拍目に打つバンドに出会った感じです。句読点が多いか少ないか、それをどこに打つか、ただそれだけで文章の意味が全く頭に入ってこなくなります。だから、僕はまず文体に体を馴染ませる必要があるのです。
 句読点を含めた文体に体が馴染むまでにだいたい3日はかかります。この時期は1段落か2段落読んだら休憩します。だから1日で読めるのはせいぜい2〜3ページ。どうしても文体に馴染めなくて、この時期に読むのをやめてしまった本もあります。
 4日目くらいからは物語が動きだすことも相まって読むスピードが徐々に上がってきます。1日に10ページは読めるようになってきます。作品のリズムに自分が同期してくるのがわかります。さっきの音楽の例なら、スネアが4拍目に来るバンドなんて踊れないよと思ってたのに、気づいたら気持ちよく踊らされていた、みたいな。
 そして最後には、読み終わるのが寂しく、それでいて読むのが止まらず暴走列車のように一気に読了します。

 最近読んだなかでは西加奈子さんの『きいろいゾウ』を読むのにすごく時間がかかりました。これを読んだからか同作者の『サラバ!』はわりとすんなり読み始められた気がします。
 これを書いている今は、保坂和志さんの『未明の闘争』を読んでいます。初の保坂小説ということもあり、めちゃ読みにくいです。句読点の打つ位置なんて甘っちょろいものでなく、まるで落ち着きのない犬みたいに、あっちにウロウロ、こっちにウロウロする文章構成にタジタジです。でも、だんだんと氏の魔法にかかってきた感じがしています。

 わずかな読書経験の中では、僕は村上春樹さんの文体が最もしっくりきます。村上春樹作品を読んでいると、句読点はやはりリズム、それもドラムだなって思います。なんの引っ掛かりもなくリズムに自分を同期させることができます。
 たぶんすごく拘って文章を書いていて、何度も読み返して、何度も書き直して、あの洗練された文章を書いているのだと感じます。職人の丁寧な仕事という感じがします。もしかしたら、ただの天才なだけかもしれませんが。
 これはもちろん村上作品のリズムに僕がたまたまノりやすかっただけであり、みんながみんな気持ちよく読めるというわけではないと思います。みなさんにも着なれたシャツみたいにピッタリ馴染む文書を書く作家さんがいるのではないでしょうか。

 と、ここまで書いてきて、昔はこんなことなかったのになあと思いだしました。若い頃は1日1冊なんてザラでした。きっと今よりも脳が柔軟で適応力があったのでしょう。もしくは何も考えてなかったか。たぶん両方です。
 今では1文1文にひっかかり、休憩して、また読み直したりしながら読んでいるので、遅々として本が読めません。友人から読書コミュニティに誘ってもらってオススメの本を紹介してもらったのに、それを読めるのは当分先になりそうです。


近況報告(2024年8月5日)

小説を書いていますが、こちらも遅々として進みません。でも、どんな物語になるのか自分でもわからなくて、ワクワクしながら少しずつ書いています。


写真は某渡船乗り場にいた猫です。人懐っこくて滑らかな毛で天使みたいでした

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