『生きるとは 死のうとするに にている』 藤宮史 Fuhito Fujimiya 2022年3月22日 22:58 この句ができたとき、私は日雇い土工の仕事に出ていて、土工仕事で死ぬような目にあった。生活するために、生きてゆくために出ていた仕事であったが、自分を生かすよりも、死ぬほうに向かわせる仕事に、世間に疑問を持ったものだ。世間は私を生かそうとはしていないと思った。殺そうとはしていないが、生かそうともしていない。生きるか死ぬかの、ぎりぎりのところに常に追いやって、若さを、命を搾り取っていると感じた。 この記事が参加している募集 #自由律俳句 32,208件 #自由律俳句 #木版画 #土浦市 #藤宮史 #或る押入れ頭男の話 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート