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独占しない恋愛――非独占愛について語る


「恋人は独占できるもの」という考えがしっくりこない

今日は僕が「非独占愛」って呼んでる考え方について話してみようと思う。これは、従来の恋愛観や最近よく目にするポリアモリーとは少しちがう、僕なりの関係性のあり方なんだ。

昔から僕は、一般的な恋愛のあり方が自分には合わないと感じてたんだ。「恋人になったら相手を束縛したり独占したりするのが当たり前」みたいな考え方がしっくりこなかったんだよね。

それに、不倫や浮気を非難するのが当然という風潮にも疑問を感じる。
たしかに「恋愛・性愛の相手は自分だけ」だと信じているパートナーに嘘をついたりだましたりして、他の人とそういう行為をするのはパートナーに不誠実な裏切り行為だ、というのは僕だって同意できる。
でも、世間の不倫に対する非難ってそうじゃなくない?
パートナーとの関係や認識なんて関係なく、婚外、交際外の恋愛があり得るというだけで絶対に許せない、という感じ。
その前提には「恋人になったからには恋愛・性愛を独占して当たり前、それに同意できない人間はおかしい」という考え方があるように思う。

合意に基づいて複数の恋愛関係をもつ「ポリアモリー」

そんな時、「ポリアモリー」っていう考え方を知ったんだ。
ポリアモリーは、複数の人と同時に愛情関係を持つことを認める考え方
「poly」は「多数の」、「amory」は「愛」って意味だから、「複数の愛」ってことになるね。ポリアモリーの人たちは、一人の人を愛することと、他の人も愛することは矛盾しないと考える。
でも大事なのは、関係者全員がそれを知っていて、合意していることなんだよ。

最初、僕はこの考え方にすごく惹かれたんだ。
自分をポリアモリーだって自称するようにもなった。
だって、従来の「一対一の排他的な関係」っていう枠から解放されるように感じたからね。

でも、しばらくするとポリアモリーという言葉も、僕の考えとは完全には一致しないと思うようになったんだ。
ポリアモリーの考え方では、「ポリアモリーは関係者全員の合意に基づいているから、不倫や浮気とは違う倫理的なものだ」というのを強調する傾向がある。

それはたしかに、世の中でポリアモリーが「そういう人もいるんだね」と受け入れられていくためにはとても重要なことだろう。
でもそれは「本来、パートナーには相手の自由を制限する権利があって、それを変えるなら合意が必須」という考え方のように思えた。
そのことに対して僕は、どうしても受け入れられない気持ちがしていたんだ。

そう気づいたとき、僕は自分が本当に違和感を覚えていたのは、そもそも「恋人の自由を制限する権利」を当たり前のものとする考え方だったんだって分かった。

そこで僕は、新しく「非独占愛」っていう考え方をもつようになったんだ。

恋人の自由を制限しない「非独占愛」

非独占愛の特徴を具体的に挙げてみると、こんな感じかな:

  1. 相手の自由を大切にする
    好きな人だからこそ、その人の自由な選択を心から尊重したい。未来に何があるかなんて誰にもわからない。なのに「つきあっているからできなくなることが増える」っていうのは嫌だなぁと思う。失敗するかもしれないことだって、それを自分でやると決める自由はある。

  2. 許可なんて求めない、与えない
    「浮気」とか「不倫」っていう言葉自体に違和感を感じるんだ。誰かを好きになったり、誰かと親密になったりすることに許可っているのかな?「合意」は許可とはちがう、という考え方もわからなくはないけど、合意を得なくちゃと意識するのは結局、自由の制限だとも感じる。

  3. 期待や要求は押し付けない
    「言わなくてもわかってよ」とか「私の気持ちを考えて行動して」っていうのって、実は相手に無言の圧力をかけてるように感じるんだ。そういう期待は持たないようにしてる。

  4. オープンに話す
    隠し立てせずに、素直に自分の気持ちや状況を伝え合える関係が理想だと思う。でも、それは義務じゃなくて、自然とそうなればいいなって感じかな。許可や合意を得るためじゃなく、「相手のことをもっと知りたい、自分のことをもっと知ってほしい」から伝え合う。

ここで重要なのは、非独占愛というのは新しいカテゴリーではないということなんだ。「非」から始まる非独占愛の定義は「独占する愛ではないもの」であって、「〇〇なもの」ではない。だから「非独占愛者」みたいな共通項でくくるのはそぐわない。「愛はいつでも独占するのが当然であり自明だとは思わない」くらいの広い定義で十分だと思う。

カテゴライズしないこと、アイデンティティにしないことに大きな意味がある

ポリアモリーとの違い

ポリアモリーとの違いをあえて挙げるなら、こんな感じだろうか:

  • ポリアモリーは「複数の愛」を前提にしてるけど、非独占愛はそうじゃない。一人でも複数でも、それは結果であって目的じゃない

  • ポリアモリーでは「全員の合意」が重要視されるけど、非独占愛では「そもそも合意を求める権利があるのか?」って考えるんだ。それぞれが自分の判断で決められることが大事。それを前提として、おたがいに信頼し合い、支え合えたらいい。

誤解しないでほしいこと

ここで誤解しないでほしいのは、非独占愛は決して「パートナーの考えに口を出すな」とかそういうことじゃないってことなんだ。相手は自分の大好きな人、大切な人なんだから、その人が目の前にしている課題や選択について、自分のことのように親身になって一緒に考えるのはもちろんすばらしいことだと思っているんだ。むしろ、僕はそうすることが何よりも好きだし、大切だと感じている方だと思うよ。

また、「許可を求めない」ということは、パートナーの気持ちをないがしろにしていいということではないんだ。むしろ、お互いの気持ちや行動をよく理解し、尊重し合うことが非常に重要なんだよ。
でもそれって本来、新しい恋人とつきあうときに限った話なんかじゃなくて、恋人とのあらゆる関係において重要なことでしょ?
世の中には浮気はしないけど、それ以外の点ではパートナーの気持ちをないがしろにしている人だって山ほどいる。そうしないためにはちゃんと向き合って、心の深いところからじっくりと話をする以外にないと思うんだ。

例えば、相手のしあわせのことを真剣に考えて「それはやめたほうがいいんじゃない?」と言うこともあるし、「その選択をされると僕はさみしく感じると思う」と伝えることだってあるだろう。それな何も悪いことじゃない。

でも、ここで大事なのは、恋人としての特権性を持ちこんで、相手がそれに従う義務があるかのようにいうのはちがうと思うってこと。つまり、「恋人だから」という理由で相手の選択を制限したり、決定権を奪ったりするのはおかしいんじゃないかって考えているんだ。

相手のことを心から大切に思うからこそ、その人の自由や選択を尊重したい。でも同時に、お互いの気持ちや考えを率直に伝え合える関係性も大切にしたい。そんなバランスを取りながら、より深い絆を築いていける関係を目指しているんだ。

僕の非独占愛の実践

実際、僕は今、結婚してて、さらに3人の恋人がいる。とても幸せで、楽しくて、充実しているよ。でも、これはそうしようとめざしたわけじゃない。たまたまそうなっただけで、これが「正しい形」だとは思っていないよ。

大切なのは、お互いを信頼して、相手の幸せを心から願うこと。そして、自分の幸せも大切にすること。そんな関係性ならいいと思っている。
僕の場合はこれでうまくいってるけど、全ての人にとってベストな方法だなんて思わない。

結局のところ、必要なのは「ふつうはこうするのが当たり前」「みんなこういうものだ」「こうじゃないとおかしい」と言ってしまいそうなときに、「そうじゃない人もいるかもしれない」と考える想像力だ。本当にそれだけでいい。

僕のこの発信が、あなたにとって何かを考えるきっかけになってくれたら、うれしいな。

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