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「5年後にはまだ想像できない何かを成し遂げていたい」と思いながら生きること。
26歳で、新卒で入った会社を辞めたとき、「これからの人生は自分の選択によってどうにでも決まるんだな」と実感した。
1年後に自分が何をやっているかもわからないという、大きな不安とわずかな期待の中で、「未来が分からないのならいっそのこと、いつでも5年後が想像できない生き方をするのも悪くないかもしれない」なんて思ったりした。
そしてそのときに思ったのは、これからは5年の区切りごとに「僕はこれだけやったな」と、満足できるように生きたいということだった。
1年で結論を出すのは早すぎる。ちょっと長い目で見て、5年くらいで「まぁまぁ悪くない選択だった」と思えれば万々歳だし、そう思えなかったらそこで軌道修正を図ろう。
そう思ったら、選択することが少しだけ怖くなくなった。選んだ生活をふと俯瞰的に眺めて「あ、今の生活を5年続けても、満足するなにかはできなそう」と感じたらすぐにでも撤退すればいい。基準はいつも5年後。そのくらいが、せっかちな僕にはちょうどいい。
「25歳」の時点で、最低限社会人として自分の生計を立てられていたからひとつ満足。
「30歳」の時点では、一生忘れないだろうと思ういい図鑑を世に送り出せた。
次は「35歳」。あと一週間。
フライングで言ってしまうけど、「35歳」も十分に満足。
初めての田舎暮らし、ってことで、地縁も何もない長野県に来て、自分の足だけで立っている。
これまでに作ってきた大切な絆は離れてもちゃんと残っている。
さらにまったく新しい仕事にも挑戦できた。今までにない観光パンフレットをつくり、なんと、僕自身がお金をいただく観光ガイドにもなった。
こうやって、「自分の満足」を基準にして生きていけるようになったら、他人と比べる必要はなくなった。
安定した企業のサラリーマンでいると、どうしても収入とか出世とか、比べ安い周りの人と比べてしまうけれど、「自己満足の度合い」を他人と比べることはできないからね。
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