書店振興プロジェクトは必要か?
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どんな内容?
「仕事」を銘打っているが、実業務を記述するものではありません(そういう書籍が少ないので、あれば嬉しいのですが…)。
書店員には扱うジャンルを割り振られておりまして、児童書担当、コミック担当、小説担当…とあります。
本書は全国書店の人文書担当の人たちのエッセイのようなものです。
感想
どれも、書店員としての哲学や昔懐かしむ記憶、これからの書店など思うことを書いています。
全国の小さな書店からチェーン書店、元書店員や現役書店員の文章はどれをとっても彼らの書店員としての生き方が凝縮されて同じものは一つもありませんでした。濃い、とても濃い、彼らの人生の一片にふれる事ができました。
ただ、一つ共通しているのは、彼ら書店員は皆、棚という畑を何年も愛情を込めて耕しているのであり、棚は彼らによって生かされているということ。最近の書店は特にチェーン店では人手不足によって書店員の業務を効率化しています。それは、どこに行っても代り映えのしない無機質な棚を生んでいるのです。まさに耕作放棄地となっています。
書店振興プロジェクトは必要か
最近、経産省主導で「書店復興プロジェクト」なるものが始動しました。
有識者や市民からは、
「いまさら書店なんて必要なのか」
「手を打つのが遅い」など言われました。
また、
「書店には地域の文化拠点としての役割」ということに疑問を投げかける人もいます。
私自身も最初は「本なんてどこで買っても同じじゃないか」と思い、地域の文化拠点ということに納得いかない部分もありました。
けれど『書店員の仕事』を通じてその味方が大いに変わりました。
まず前提として書店は物理的空間の制約を受けています。1日に200冊の新刊が発売されますが、そのすべてを揃えることはできない。だからこそ全ての書店は「選書=セレクトショップ」なのです。
たとえば「長崎県郷土史」を北海道の書店が揃えることは難しいし、逆に長崎県の書店は無数にある出版物の中から「長崎県郷土史」や「隠れキリシタン」をテーマにした書籍をセレクトする余地があると言えます。
つまり、書店員はその土地の歴史や人との対話を通じて棚を作っている。同じ棚など一つとしてない。だからこそ、書店はその土地の文化の基盤を支える発信拠点になっているのです。その意味で、Amazonなどのネット書店は文化の拠点にはなり得ないでしょう。「なんでも揃う」は「なんにも主張していない」ということと同義です。
それに行動経済学で言われるように、決定回避の法則が人間にはあり、多すぎると選ぶことを放棄してしまう。つまり町の書店はそうした情報過多で専門知のない人々の代わりに、その土地や歴史、客層にあった書籍を選書しているのです。「選ぶ」という行為を通じてその土地土地の文化の基盤を支えていたのですね。
ですから、私はこう答えることができます。
「今更、書店は必要なのか」
必要です。
なんでも揃えられるワケではないからこそ、制約があるからこそ書店独自の色が生まれる。すべての色を混ぜたら区別のつかない黒になってしまいますが、色に制約があるからこそ様々なカラーが主張できる。これは、「地域の文化拠点」としての書店の意義でもあります。無数にある書籍の「選べない」を解決し、その土地の歴史/風土/人に合った書籍を主張することで文化を支えているのです。