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『猫はしっぽでしゃべる』

  『猫はしっぽでしゃべる』 田尻久子
   ナナロク社
   2018年

〈ジャンル〉書店員エッセイ、熊本県、芸術、記憶、ノスタルジー

〈お気に入りの一節〉
小説はつくりごとだと言う人がいる。でも、そこには語られるべき真実がひそんでいる

〈あらすじ〉
熊本県の路地で薄ぼんやりとしたオレンジ色の明かりが灯る橙書店。筆者はそのオーナーとして小さな新刊書店を営んでいる。そこには坂口恭平石牟礼道子、地元の新聞記者、そしてお客さんがあつまり一つのコミュニティとなっている。サントリー地域文化賞を受賞した橙書店主の日常エッセイ。


〈感想〉


人生の重みを持ったエッセイ、だけどノスタルジーで温かくて、軽やかじゃないけど優雅で、「ここではないどこか」なようで常に私の隣にある風景のような、そんな出来事が綴られています。

たった180ページの文書なのに一日かけて読み終わりました。それはつまらないということではなくて、すべての文章が、空き瓶に時間をぐっと閉じ込めたような濃密さを持つからです。だけど胸焼けしないのです。

きっとこの人は「文才」があるわけではないと思う。たぶん、彼女の人生がとても丁寧に営まれていてそれが地層のように形成されているからでしょう。あまり抽象的でありふれたコピーで本書を説明したくないけど、記憶、家族・愛、その溢れ落ちていくそれと、何気なく扱ってしまうそれへの、慈愛の眼差しを感じます。いわゆる書店員エッセイだけど、彼女自身のことはほとんどかかれず、彼女が営む熊本にある小さな橙書店に訪れる人や関わる人のことがしたためられている。お客さんや友人や作家を綴ることが鏡のように彼女の生を写しています。


彼女は気取らないし気負わない。書店員エッセイの中には使命感とか自分の役割とかそんな話をするのが見られる。それはそれで良いのだけど疲れてしまう。この本は疲れない。自分の生活圏の日常が絵画のように描かれている。それは夜のひとときや雨粒が窓にうちあたる、そんな日の朋としたいエッセイです。

そして、エッセイには20冊程度の書籍が、そのどれもを読みたくなってしまいます。写真集なんて普段は全く興味ないのにね。自分の知らない自分の趣味と出会う読書カタログにもなるでしょう。


最後に好きな文章をひとつ、抜粋。

結局、残る記憶は断片だ。出来事をそっくりそのまま覚えておくことは不可能だし、記憶というのは、多かれ少なかれ修復されている。つじつまで、隙間を埋めてしまう。だから大切なかけらだけをとっておけばいいような気がする。かけらには、いびつなものもあれば、きらきらしているものもある。踏みつぶしてしまいたいものもあれば、何度も何度も磨いてもっと光らせたいものもある。忘れたいものは、記憶の片隅に飛ばすし、大事なかけらは幾度も取り出して、反芻する。かけらだけあれば、十分だ」

紹介されて気になった作品
あらすじを説明してしまうと、「大事なことが伝わらなくなる」ものだし、
生とか死とか、愛とか記憶とかいう言葉で抽象化してしまうとその作品の〈ほんとう〉が消えて気がする。という彼女の考えに従ってここではタイトルだけの紹介とします。

『リンの小さな子』
フィリップ・クローデル、みすず書房


『体の贈り物』
レベッカ・ブラウン、新潮社


『にんじん』
ジュール・ルナール、岩波文庫


『家族の哲学』
坂口恭平、毎日新聞出版


『生きなおす、ことば 書くことのちから——横浜寿町から』
大沢敏郎、太郎次郎エディタス