【感性を育てるケの日】〜感性を育てる必要性#3〜
感性を育てることについて、特にその必要性について書いています。
#1、#2からの繰り返しになりますが、アートや芸術への着目も相まって、感性への注目が高まっているように思います。
ですが、感性を豊かにするとは、アートや芸術を鑑賞する・創作する体験をすればいいということでも、芸術に対する審美眼のようなものを育てるということとも違うと考えています。
前回から少し間が空きましたが、今回は、その結論めいたものについて。自分の健康、心身のメンテナンスの観点から得た気づきを書いていきます。
ある身近な方の、心身のメンテナンスのことについて、私がサポートできることをお伝えする機会がありました。
以前から一緒に活動してきた中で、
「どっぷりと、一箇所に浸かることのない人」
「様々なところから学ぶ機会を持ちながら、自分にいいと思ったところは取り入れるけれど、完全に一体化することはない人」
であることを、知っていました。
そして、私が伝えたある健康についての事柄についても、その場では「試してみたい」と仰っていたけれど、時間が経ち、
「自分が健康のために取り組んでいることが他にも有る。それを続けながら自分でできることと、他に頼るべきことを見極めたい」
というお話をいただきました。
私からは、
といったことをお返事しました。
自分で言葉にして改めて、これは健康に限らず、感性を養い生きることの全般に通じることではないかと、気づきを得ました。
感性とは、
自ら関心を持ち、情報を集め、体験し、自分にとって良いと思うことを客観性も持って選ぶことのできる能力。
自分で出した”今の答え”と、答えを出せた自分を「これでいい」と認めながら、同時に「他のものも、ある」と可能性を併存させていられること。
感性そのものについても、感性を育てるということも、決して「なんとなく」「なんだか良い気がする」という感覚的な営みではなく、とても知的で高度な働きだと考えています。
そして、感性を育てることにアートや芸術が多用されるのは、アート・芸術の創造プロセスが、感性の働き(プロセス)と重なる部分が多分にあるから。
アートのプロセスについては、私よりも専門的に語れる方が大勢いますので、いずれご紹介したり、インタビューなどもしてみたいと思いますが、感性を育てることは、知性を伸ばすことにも大いに関連することだと捉えています。
今以上の創造的な世界を、平和的に創り上げるために、感性と知性が分断されることなく、統合的に尊重されること。同時に、人と人との結びつきも暖かく確かなものになること。
それを願いながら、また感性についても記事を書き続けていきたいと思います。