じぶんのこころとからだのためにできること
わたしは、医者でもカウンセラーでも何でもありません。
自分の体の不調もろくに説明ができません。
そんなわたし、この1年半ほどの激動の中で、漢方の力を借りています。
もともとは手荒れがひどく夜中に搔きむしっていたり、夏の暑さで睡眠をとることもできずにいたので、ここをしんどさのピークにしたい!! と思って漢方を飲み始めました。
頭痛いなぁ……と感じたら、まずは気圧の変化を確認するようになりました。
気圧じゃなさそうだ、となってから頭痛薬を飲みます。
夜中に目が覚めるなぁ、と思ったら、体の中でこわばっている場所を探すようになりました。
思い出したらお灸してみたり、足裏とかみぞおちとか、自分の手が届く範囲でぐりぐりマッサージをしています。
手荒れが悪化したら、触ったものと食べたものを思い出すようになりました。
ゴム手に素手で手を突っ込んだな、とか、グルテンとりすぎたな、とか、思い当たることが出てきます。
最近は、胃のあたりから大腸のあたりまで、硬くきゅ~っとこわばっている感じが頻発するので、原因を取り除かなければ、と感じています。
漢方のおかげで手荒れも、あとは最後の一山を越えるのみかなぁ、いつ越えられるかなぁ、と思えるところまで回復しました。
漢方のおかげもありますが、漢方の処方を受けるために、前回の漢方相談からどんな変化があったかを事細かに聞いてもらえること、仕事に関わる不安を吐き出せる場所があることが、心も体も楽にしてくれたように思います。
なんでこの漢方のお話になったかというと、『雨でも晴れでも「繊細さん」』 (武田友紀 著 幻冬舎)って漢方みたい、と感じたからかもしれません。
HSPを親しみを込めて「繊細さん」と呼んでくださる方です。
HSPじゃない人は、HSPさんと同じように感じていません、と書かれていて、目から鱗が落ちました。
わたしが、「敏感なんだね」と評されたとき並みにびっくりしました。
その時のお話はこちらに記載しています♪
見えているものが違うとか、感じていることが違うとか、「違い」があるという認識はしていたけれど、感度が違う以上に、感じない人もいる、ということに対して想像力が追いつきませんでした。
武田さんの家族のお話とか、感じ方とか行動とか……うらやましいな、と思いながら、急いで全部を読み終えたくて駆け足でページをめくりました。
HSPとしての自分の特性と正面から向き合うようになるまでの経緯を、並走させていただいているようでした。
武田さんの本が好きな理由に、〇〇しなさい、という言葉が出てこない、という点があります。
そのほかの「HSPのための~」と冠した書籍においては、HSPとして感じていることを言葉にしないと相手には伝わらないから、あなた自身が過ごしやすくするためにも、社会を良くするためにも言葉にして伝えなさい、といったお話が出てきます。
「~ねばならない」と言われると、胃のあたりがキュッと冷えて硬くなります。
言わないといけないのはわかってる……でもそれは今のわたしがしなければならないことなんだろうか……と、本全体の良さをその一瞬でなかったことにしてしまうほど後退しますし、硬直します。
武田さんは、HSPの感受性を活かせないほどに自分に対して「~ねばならない」を強要するのではなく、感受性を生かせる状態まで自分を緩めてあげましょう、と言ってもらえる感じがするんです。
HSPという言葉は、自分を守るための武器ではありません。
自分自身と向き合うため、自分自身を開放するため、自分の資質を知る指針の1つです。
配慮されるべき資質ではなく、HSPという資質でも生きやすい世の中になると、HSPじゃない人にとってもすごく心地よい環境になりますよ、という尺度の1つだと思っています。
武田さんの言葉は、そこに立ち返らせてくれる、アンカーのような感じがしています。
こちらの対談記事と一緒に、もう少しじっくり自分の中に落とし込んでいきたいな、と思っています。