見出し画像

India~Bangladesh 2016.2.28-3.21 (最終話)

(前回の話はこちらから)

3.日々の旅の記録 つづき

3月19日土曜日
昨夜も良く眠れた。このインドのやり方、うさんくささが未だぬぐいきれず、

も や も や。

国民性の違いと言えば、それはそうなんだけどね~~、、、、。
同じ日本人でも色々やしね、、、、、、。 
  
この3500Rはコルカタにいたとしてもホテル代になった金額。私のしたかったことが出来たので善(よし)としよう。

朝5時、荷作りも終わった。コーランの声が聞こえる。
電気がないので未だに夜が明けない暗がりではすることがない。ヘッドライトは持参したがたいしたことはこの明かりではできない。
快便。2日おつうじがなかったので心配したが、及ばず。下痢の様子もなし。
朝はチャイに堅い堅いクッキー。

学校名  C.Y   Paràmoun Acodomy Gazoa Pafappur        
生徒数  260人
先生   10人(内3人女性) 
1ヶ月前開校(※最初に行った学校)

学校名  JS  Mereluy  Acodemy
生徒数  500人
先生   12人          
4年前開校

先生の給料
 ヘッド   30000R
 先生    10000R(男性)
       8000R〜9000R(女性)

朝6時。出発、ブッダガヤと昨日しっかりと決めたのに30分も遅れるが、彼らは慌てず騒がず、、、、、。案の定、行きがけにガソリンを入れる。しかもそのガソリン代はなく、私が支払ったお金で支払う。2時間半で到着。意外と近かったが道路は半端なくこわれていた。

ブッダガヤはオートバイの後ろに乗り、
①ガイドブックにあった大きな木 ②寺 ③遺跡 ④寺 ⑤寺 ⑥寺 ⑦仏像、、、
どれも興味なく素通り。①、③だけは一応写真を取った。
ここブッダガヤは10時30分出発と決めていたので、この素通りでも時間ギリギリ。
遺跡巡りの途中、象に出会う。オートバイを降り写真を取っていたら象使いが「タッチしていいよ」と言ってくれたので鼻をなで、頬ずりをした。
お寺に登る階段や道端にはどこも物乞いが並んでいる。
ここに来てたくさんの日本人観光客を見かけた。ここブッタガヤはガイドブックにも紹介されていて有名だが、どうしてこんなにたくさんの人が観光に来るのかその魅力は何なのかさっぱりわからない。観光バスと、どこに行っても沿道に並んでいる土産物屋。以前はもっと静かな村だったらしい。が世界遺産になり、一度に有名になり観光客が来るようになったとか。

ここには 二度ときませーーーーん。

早々にここを引き上げコルカタ行きのバスに間に合うように帰りをいそぐ。帰りがけに夜行バスのチケットを買う。このバスチィケットが私のモヤモヤの発端。
昨日アシフの言っていた16時30分発は満員。17時はなく18時発のバスチケットが買えたらしい。このバスチケット、一枚で二人乗る。この一枚で二人というのがひっかかっていた。
コルカタを出る時私は「このバスチケット代は一人分?」「ウン、一人分」「えっ、高か!」
今日こそ突き止めてやる。とにかく、こんなバスチケット売り場で英語は通じない。いつもバスチケットは同行のアシフが手配。
「一緒に行く」と言うと「いやあ、僕一人で」と私を遠ざける。少しのお金だけど嘘をつかれるのは一番気分が悪い。どうしても

つきとめてやるぜ〜~~~~→↑↓


今日は土曜日。
前に言っていたハンサム先生の写真ともう少し学校の情報が欲しかったので家に戻る前に学校によってもらう。運よく1時過ぎているのに先生も生徒もまだ学校にいた。あのヘッドのかっこよすぎる先生もいて写真を撮り学校に関する情報もGET!

満足 ! 満足 !

この学校、泊まっている家から5分もかからないところにあった。あまりに近すぎたのと民家風だったので自転車で捜している時は見つからなかった。

「おなかすいたーーー」と言うと「手を洗って」と言ってすぐに昼御飯
お米よりチャパチィのほうが食べやすい。

ちょっとお腹も満たされたので、顔を洗いシャンプーを済ます。
スッキリ !
今日も赤い太陽が登り始めるのを見ることが出来た。(朝6時10分位)
この家の東の空に大きな大きな赤い太陽が登る。そして其の赤い太陽は時間経過とともにオレンジへと変わる。

大発見や〜~~~~~!

夕方5時、軽いティタイムをして、コルカタ行のバス停まで家族みんなで見送ってくれた。

バスチケットはやっぱり1枚で500R。チケット売り場に行って「コルカタまでバス代いくら?」と英語で聞いても、返事はベンガル語でさっぱりわからない。英語を話せる人はいない。このバス出発までにこのモヤモヤを解消しないとチャンスはないと思った私は、もう既に到着しているバスにもどり座っている5〜6人の乗客に尋ねた。うち一人が英語の話せる男性で「ここからコルカタまでは一人250〜270Rだよ、寝台は700R」と教えてくれた。
ウン、ウン、よしよし。
これで裏が取れた。やっぱり2人分だったんだ。

今夜の飛行機21日 00時10分発 までたっぷり時間はある。
しかし、もうどこにも行く気がしない。どこで時間を潰そうか。
今回のバスは運良く前回よりグレードアップ。蚊よけスプレーもして万全を期す。朝7時予定どおりコルカタ着。アシフがカーンと連絡。ニューマーケット内の友人経営のホテルで「待っていて。」という事。
用を足し、歯を磨き顔を洗い、道沿いの露店の果物屋で果物を買い、朝食代わりにする。

アシフが何時までここにいるのかと尋ねるので、夕方早く夕食をこのニューマーケット辺りで済まし、それからこの近くから出る空港行きのバスで空港まで行くつもり、と答えたが、さてさて、どこで時間つぶしするかなあ??
コルカタに5泊もどうしようかと思っていたがあっという間に終わってしまった。

そんな時Aさんから連絡が入る。Aさんの友人とその家族で車を借りて日曜日だけ開かれる動物市と有名なヒンドゥ教の寺院にお詣りに行くらしい。車はクーラーも入っていて快適。途中、軽食。水も買う。ドライバーの弟も一緒。私との5人で。皆敬虔なヒンドゥ教徒。

それにしても、とにかく日中は暑い。汗が額から流れ落ちる。このヒンドゥ教の寺院に入るには、靴を脱ぎその他のものは預けなければならない。裸足に慣れていない私にとっては、石畳をはだしで移動するのはやけどしそうな程、太陽で石が熱くなっている。
小さな祭壇をしつらえた祠を回って、最後大きな寺院の敷地の横を流れているガンジス川で沐浴となるらしい。

この家族のご主人も気さくな人でいい感じ。
一通りコルカタ市内見学も終わりどこに行くのか解らず、車を止め、車を降りてついていった。どうやらこの家族のアパートだった。お手伝いさんもいる。ご主人に「これからの私の予定ご存知ですか?」と尋ねた。
「うん、これから家でランチします。シャワーも良ければ使ってね」

ご主人と弟、男性二人はシャワーを済ませた。
ごはん、久々にどれもおいしかった。食後のデザートに、帰りがけに買って帰ったマンゴーのアイスクリーム。クーラーの入った涼しい部屋だったが、冷たくて甘くて美味しかった。

サテサテ コレカラ 丿 ワタシ ノ ズケジュール ハ イカガナコト ニ ナッテイルノデショウカ ???

昼ご飯の後お兄チャンが来るらしい。アシフが私を空港まで行くバスに乗るまで面倒を見てくれるらしい。お兄チャンが来て少し話、お礼を言う。
大きなバッグはトランクに入っていたので、それをここに持ってきてもらって。時間があるのでここでシャワーを済ます。コルカタのラウンジと言えどシャワー室があるかどうかわからないので。
6時。アシフが来た。シャンプーした髪も乾き、そろそろバスターミナルまで出かけることにした。
今回の旅はラッキーなことばかり。きっと叔父や父が見守っていてくれてるに違いないと確信している。

空港に着くや否やインドのRを円に両替したいと思ったが、今日は円の持ち合わせがないそうで、やむなくUSドルに両替。約4000円程あった(50Rの1枚は古すぎて両替出來きないと言われたのでケーキを買って使ってしまう)。何げなく、パスポートを入れてある首からぶら下げている袋を見るとまだ3000Rが出てきた。再びあわてて両替所に直行。気がついて良かった。紙くずになるところだった。

ボーディングパスにかえ、ラウンジを使用。1度カクテルのお酒を飲んでみたいと挑戦。

作ってもらったのはスクリュードライバーという飲み物だった。
結構強めで酔っ払いそう。
ラウンジの食べ物はやっぱりお粗末。 時間があるので
二杯目に挑戦するよ〜~~~~~~

時間はまだ2時間以上もある。生意気にもラウンジの使い方に

慣れてきた、、、、んで ござんすよ〜~~~~。


スライストマトの上にチーズ。きれいし、トマト好きの私は大好物。
違う飲み物を注文。 チビ、チビ、い く かーーーーーー!
注文したのはやっぱりスクリュードライバーの一種らしい。
こっちのほうが好きかも、、、やっ、、、でも甘い。一口目は良いが甘すぎる。

古い札だからUSドルに両替不可といわれ、ケーキを買って使い切る。プリンを買う。

3月21日
搭乗するなり軽い飲み物。しばらくして機内食。いつもなら「シャンパン」と注文する所だが、今日はとにかく早く寝たい。さっきラウンジで食べたばかりやしね。アイスクリームもコーヒーも断った。

なんだか騒がしい。まわりがなんとなくあわただしいのを感じとったのか、ねむい中起きた。ありゃ、もう香港への着陸態勢に入ったらしい。よく寝た。

飛行機の到着が遅れた。関空行きのJALのトランジットの時間はもう過ぎた。案の定キャセイのスタッフがトランジットの通路で紙カードをぶら下げていそいで誘導。キャセイの香港ラウンジも使えず、香港ドルも円に両替できず、最後の最後でふんだりけったりやん〜〜ー〜ー〜。

乗り換えして、さあ、日本に向けて出発という時になり急病人発生。


香港空港は今日は突風を伴う雨風の強い日だった。


おわり

(持参した参考資料)


「気に入ったらサポート」ぜひよろしくお願いします♪
70カ国の旅日記まだまだ続きます。
次は、おばばと孫の二人旅アフリカ編。アップ頑張ります!



ここから先は

0字

今回の旅は第二次世界大戦で戦死した叔父の慰霊のための企画でした。 叔父の戦歴を取り寄せて調べてみると五年間の戦歴が詳しく書いてありました…

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?