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2/16(日)進化(前半)

こんにちは!

今日の練習は休みです。
最近は週一回(主に日曜日)は休みを取るようにしています。

「中学生に休みなんかいらん」と言う意見もあると思いますが、私は必要だと思っています。
なぜこのように考えるようになったかと言うのは、私の歩んだ道にあるので、
前回に引き続き今日は「中学三年生編(前半)」を書いていきたいと思います。
「中学二年生編」を貼っておきますので、まだ読んでいない方はぜひ!!

最上級生

全中四連覇、近代柔道杯(三月にある全国大会)二連覇を経験した激闘の二年生を終え、ついに最高学年になった私は

「全中五連覇」
「全日本マルちゃん杯(9月に行われる中学三年生にとって最後の全国大会)優勝」
をして中学全国大会三冠(近代柔道杯、全中、全日本マルちゃん杯)する
、というチームの目標を設定しました。
近代柔道杯を優勝した時点で、三冠を狙えるのは私の学校しかありません。
私の一つ上の先輩達は全日本マルちゃん杯の決勝で敗れて、三冠達成には及びませんでした。

個人の目標としては、
昨年一回戦で負けた全中で「個人戦優勝」
「全日本強化選手になる」ことです。

小学生の時にはこんな目標を立て、そのチームをひっぱていく存在になるなんて思いもしませんでした。
ただ、やるからには責任を持ってやりたいと気合いが入りました。

入学してから今までほとんどの試合で勝ちしか見てこなかった私たちの同級生は、

「試合になれば勝てるっしょ」と言う雰囲気がすごくありました。

監督が見ていないところでは手を抜く
楽な方にすぐ逃げたがる
口ばかりで動こうとしない
反抗ばかり

と、本当にしんどかった記憶があります。
二年生の時の経験を生かして、まずは自分がしっかりやろうと思い練習も授業もまずは自分のことを一生懸命やりました。
ただ、私も「自分はちゃんとやっているのに、、、みんなもやれよ!」とイライラしていました。
「自分がやっているから、他人もやって欲しい」という思いの押し付けは逆効果であることをもう少し後で気づくのですが。。。

そんな葛藤もあったのですが、、もっと嫌だったのは

「チームの誰かが問題を起こしたら主将の私が怒られる」と言うことです。
自分は何もしていないのに怒られる。
チームをまとめきれないからダメなんだと言わんばかりにいつも私が怒られていました。
問題を起こしたチームメイトは、結局私が謝りに行って怒られ自分は安全地帯にいるので、反省もなくまた同じような問題を起こすと言うような負の連鎖が続いていました。

人をまとめることの難しさを嫌と言うほど体験した時期でした。
まあ、久しぶりに同級生と集まった時は笑い話になるんですけどね。笑
ただ当時は、主将をほんとに辞めたいと毎日思っていました。
こんな生活を続けていてもチームの目標を達成することはおろか、個人の目標さえも邪魔される、と思っていたからです。

目標の行方

私たちが足踏みをしていても、試合の日程が変わることはありません。
時間は流れ、全中の予選の時期になります。
団体戦は難なく県大会を優勝し、全国へつながりました。
個人は8階級あるうち、私含めた3階級しか全国へつなげることができませんでした。しかも団体のレギュラーで個人も出るのは私のみ。

3階級も優勝すること自体すごいと思うかもしれませんが、
みんな全国で優勝するために集まっているので、それぞれがかなり悔しい思いをしたと思います。
また、全国の団体で上位にくるレギュラーは個人でも活躍します。当然個々の力が団体の総合力につながるのは言うまでもありません。県大会の結果で、不穏な空気が流れていたのを覚えています。

ただいつまでもクヨクヨしていても仕方がないので、団体の選手には「団体の一本に集中していこう」と、個人戦の選手には「まずは体重管理からしっかりしていこう」と声をかけました。
選手以外のチームメイトには「練習の雰囲気や私生活からしっかり見直していこう」とチームで戦うことを伝えることができるように声かけをしました。

この時、なんとなくですが「柔道だけやっていても強くなれない。人として成長しないといけない。」と気付いていたのかもしれません。

ここからチームのモチベーションを全中に向くように仕向けながら、自分を追い込む日々が始まりました。

決戦

私は、去年の失敗を繰り返さないように、まず自分の長所と短所の分析をしました。

私の長所は、内股と足技でポイントを取る確率が高いこと。
短所は、組み手と寝技が苦手なこと。

これらを参考に、いいところは伸ばす、ダメなところは少しでも直すと言うスタンスで練習をしました。

ついに、決戦の日が訪れました。
この時の全中は沖縄が開催地なので、全国各地から沖縄に集まり、中学柔道部がごった返していました。真夏の沖縄は本当に暑く、歩くだけで汗が滝のように出たことを覚えています。

団体戦の日、まさかのスタートで幕が切られました。
前年度優勝校なので、リーグ第一試合だったのですが、初戦の一発目で私が福井県の選手(後に大学の同級生になる)に失点をしてしまったのです。
スタートが悪すぎたせいもあり、チームの流れ、雰囲気も最悪になってしまいました。

監督に「キャプテンで先鋒であんな試合していいわけないだろう!!」と激怒されなんとか取り返さなければと焦れば焦るほど、リーグ二試合目もバラバラな動きになってしまい、引分。「あ、俺殺されるやつや。」と思ったことを覚えています。

チームメイトに「気合を入れてくれ(背中を叩いてくれるだろう)」とお願いしたら思いっきり顔面をどつかれたのは今でも忘れません。笑

予選を最悪な形で切り抜けトーナメントに進出したのですが、不調は続きます。
ここまで不調だったら吹っ切れればよかったのですが、無理でした。笑

なんとか準決勝まで進み、全48チームからついに4校まで絞られました。

準決勝の相手は兵庫県のチームです。
先鋒戦、私が「技あり」で勝利、良いスタートを切ります。
次鋒戦、相手のポイントゲッターに「一本」負け。内容でリードされます。
中堅、副将と引分け。逆転のためには、大将戦でどんな形でも勝利する必要がある試合展開になりました。
「勝たないと負け」最悪のプレッシャーをかけてしまいました。ガンガン攻めますが、相手も凌げばいいのでなかなか崩れてはくれません。不用意な技を返されてしまい負けてしまいました。

なんと五連覇を目指したいた私たちが、準決勝で負け三位という結果に終わってしまったのです。
悔しくて、今までの先輩たちに申し訳なくて、、、言葉じゃ言い表せないくらい泣きました。勝負とは残酷なものなのです。
ただ、「なんとかなる」で勝てるほど甘くはない、と言うのも確かです。

五連覇を目指すプレッシャー、悔しさ
チームを率いる難しさ
自分のこともしっかりやらないといけない

多分中学3年でこの壁にぶち当たったのは僕だけです。
辛くて苦しかったですけど、それ以上に今の自分を作ってくれた壁であり、誇りです。目標は達成できませんでしたが、最高の時間を過ごせたと思います。

次回!!

すいません、完結できませんでした。笑
なんか、伝記のようで私の自慢話のような、、、
読む人によっては、良い印象ではないかもしれませんが、、、
完全に主観なのでご了承ください。
なるべく鮮明に思い出して、書いていきたいと思います。
そして私のことを知っていただけると嬉しいです!!

では次回、「中学三年生編(後半)」を書いていきたいと思います!!
更新お楽しみにしていてください!!
そして、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
よろしければ、スキ、フォローよろしくお願いします!!


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