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黄山ー杭州へ。 (後編)

そして杭州 河坊街にて

2013年6月の旅の記録の後編。 黄山から常州への帰路、杭州へ寄り道。
杭州も以前に訪れたことのある場所。西湖や美味しい料理、見どころの多い街だが、ひと時の食事の為だけに立ち寄る。

河坊街 he fang jie フゥファンジエ " は呉越の時代に杭州城が築城されて人の行き来が賑やかになった城下町。現在は、土産屋や飲食店が軒を並べる商業歩行街である。


河坊街にて杭州料理を


” 杭州料理 hang Zhou liao li ハンジョウ リャオリ "


杭州料理は中国八大料理系統の " 浙菜 zhe cai ジュツァイ " (浙江省料理)に含まれる。その料理は、油っこくなく、塩気、甘味、辛さなど味付けのバランスがどれも穏やかで、台湾料理と同様、日本人の口に馴染みやすいと感じる。

” 东坡肉 dong po rou ドンポーロウ "


 ” 苏轼 su shi スゥシ "、=蘇軾(そしょく)又の名を蘇東坡(そとうば)、宋の政治家にして文豪。詩、文、書画、のみならず音楽にも才を持ち、美食家でもあったという人物。そしてこれは、彼の考案とされる豚の角煮。。。

 前述のフレーズだけで誰もが憧れてしまうな天才。
今や AI が文章を起こせる時代、翻訳や要約は必要ないかと思うが、自分の旅の整理として自分が読んだ中文から要約し、"蘇軾と東坡肉" について書こうと思う。

1️⃣ 蘇軾は、若くして中国各地で役人として活躍したのだが、(1077年)赴任先の徐州が大洪水に遭った時の事。農民と共に70日以上の奮闘を経て城を守りきり百姓たちの感謝を受ける。百姓達が豚や羊を捌き、酒や料理を担いで慰労として役人達へ届けた。蘇軾は届けられたその肉を自らの指揮で、” 红烧肉 hong shao rou ホンシャオロウ " (豚の角煮)として調理させ、百姓達へ贈り返したという。食した者達が口々に、『ジューシーだが脂っこくない、香ばしく美味しい!』と言い、
皆でこの料理を " 回赠肉 hui zeng rou フイズンロウ " と呼ぶことにする。たちまち徐州一帯に流伝して、後の徐州にも伝わる伝統の名物料理となった。(これらの話は徐州の歴史文献に記載があるとのこと)

2️⃣(1080年)蘇軾は、国政非難の濡れ衣を着せられ左遷の憂き目に遭う。左遷先の黄州 (武漢の近く) は辺鄙な土地で貧しい生活をするも、その地を東坡と呼び、自身は東坡居士と名乗った。流刑を苦とするのではなく、禅世界に似た境地へ昇華させたという。
 ”豚肉の料理 "について詩を詠んでおり、料理のレシピ自体もここで更に進化をさせていたのだとか。のちの” 東坡肉 ドンポーロウ”はこれに因む。

3️⃣  (1089年) 蘇軾は、杭州へ15年ぶりに二度目の赴任となる。翌年梅雨の時期に大雨に見舞われるが早くから効果的な策を講じていたのでこの地の人々は最悪の危機を乗り越えることができた。彼は治水だけでなく、西湖に橋を架け整備することでその景観を新たなものに変えた。
 その功績について人々は蘇軾を讃えた。徐州での噂も伝わっていて、豚肉好きな彼のために、皆が豚と酒を担いで新年の挨拶に向かったという。彼はこの肉でお得意の "红烧肉 "を作り、西湖の整備に携わった民工たちに振る舞った。こうして杭州で”東坡肉”が広まり全国が知るところとなったわけである。

1️⃣2️⃣3️⃣の流れで広まった東坡肉だが、蘇軾の出身地” 四川省眉山(びざん)"で原型のレシピができていて、後に蘇軾自身が改良していったようです。
当然、その源流の地として“ 川菜 chuan cai チュアンツァイ "(四川料理)においても東坡肉があり、こちらも有名です。    

追加ネタ  

  蘇軾は優秀かつ素晴らしい人格者であり、人々に愛される人物であるのに、政治派閥の対立で中央から追いやられ、二度目は中国南端の海南島で異民族と暮らすなど不遇の人生を終えますが、ユーモアを忘れない人物であったという。
趣味的ではあるが、創意工夫を持って料理の考案を楽しみ、そのレシピを人生を通して温めていたというのも、素晴らしい。

 他にも、” 龙井虾仁 long jing xia ren ロンジンシャーレン "=エビの龍井茶炒め、” 西湖莼菜汤 xi hu chun cai tang シーフチュンツァイタン "=西湖のじゅんさいスープ、まだまだ紹介したいものがあるが、今回はこのくらいで。

叫花鸡 ジャオホヮジー

 これは杭州発祥のものではないが、普段見かけないので購入。
” 叫花鸡 jiao hua ji ジャオホヮジー "というもので、江蘇省常熟の伝統食。
鶏の内臓を抜いて味付けをし、蓮の葉で包んで表面に泥を塗って焼き上げたもの。
葉の薫りが憑った柔らかな肉は何とも香ばしい。独特の熱伝達がその食感を作り上げている。
 その昔、ある一人の” 叫花子 jiao hua zi ジャオホヮズ " ( 乞食 )がたまたま一羽の鳥を手に入れたが、調理器具も、調味料も持たないので、締めた鳥の内臓を抜き、表面を泥で覆って焚き火の中で焼き上げ、固く焼き上がった土を割って中の鳥を食したら美味しかったという。そんな昔話があるらしい。

 丸鶏一羽使って30人民元( 450-600円くらい )。食肉の廉価さが、漫画や映画に見るような山盛りの料理、豪快な骨付き丸ごと肉料理などを日常のものとしている。中国の一つの情景。


     時間の制約のため、杭州からはまっすぐ常州を目指す。


今回の旅の足


 レンタカーで借りた今回の足。トヨタのカムリ2.4L 、年式は少し古いかな。
江蘇省常州ー安徽省黄山ー浙江省杭州ー常州、この旅の走行距離1100km、トラブルなしで何より。お疲れさん。。。

 左ハンドルの運転操作は問題ないが、ミラー確認の逆間隔が馴染むまでは少し緊張が。。。中国の高速道路は道幅も広く、120km走行が可能で快適。地方も昔のような信号無し道路が減りつつあった頃。

ストレスが少ない車での移動、酒が飲めなくなるのだけは残念だが、自分で運転して広大な土地を走り抜ける感覚はいいものです。

 景勝地の写真、話題ともに少なく、食ネタ重視ですが
             以上、黄山ー杭州へ。 旅の記録後編でした。
    

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