世界遺産 廬山〜陶器の郷 景徳鎮。 (前編) 2015.10
2015年の秋、国慶節の連休を利用し江西省九江市、廬山へと旅をしました。この年の夏、風天開業から5年経ち、やっとマイカーを購入するに至りました。
まだ走行の少ない、慣らしを終えたぐらいの車ですが、少し遠出をしようという試み。常州からは片道で500km走ります。
廬山のその雄大な景観は古くから評され、李白や白居易など多くの文人墨客が訪れて多くの作品を残した場所。山水詩や山水画の発祥の地と言われる中国名山の一つ。
国立公園として、世界遺産にもなっている。
まず常州から南下、方角的には南京から長江を遡るようにして丁度、南西の方角へと進みます。朝の9時出発。
高速道路を使わずにその路程の景色を楽しみ進んだので、時間がかかりました。九江につく頃にはもう夜7 -8 時だったかな。
夜の九江市
武寧料理
▲これは、"赣菜 gan cai ガンツァイ "= 江西料理の中の一派、” 武宁菜 wu ning cai ウーニンツァイ " 九江市隣の武寧の料理。
武寧料理は、” 武宁炖钵 wu ning dun bo ウーニンドゥンボー"と言われる特色がある。” 炖 dun " は煮込みの意味で、” 钵 bo " は鉢。すなわち土鍋料理のことを指す。肉料理、魚料理、野菜料理、ほとんどの料理がそれぞれこの土鍋で炊いたスタイルで供される。
" 棍子鱼 gun zi yu グンズユュ " ( 写真右上 )
淡水魚の中でも中上級モノとされる武寧特産の魚の土鍋。これは乾燥魚を使用したタイプ。
" 麻糍粑 ma ci ba マーツバー " ( 写真左上 )
“ 糍粑 ci ba "は餅米を蒸して、ペースト状に擦ったもので、これは” 麻 ma "=ゴマが入っている。
通常餅を指す ” 年糕 nian gao ニェンガォ "との区別がわかりにくいが、中国の餅は、韓国同様うるち米を使った粘らないタイプ、この糍粑こそが日本人の意味する”ねっぱる餅”でないかと思うのだが。。。
表面の透明な液体はシロップ。糍粑は中国南方の食文化、特に九江でも有名なものらしい。
" 笋菇腊肉 sun gu la rou スングーラーロウ " ( 写真左下 )
筍に、キノコ、“ 腊肉 "=中国ベーコン(野外乾燥あるいは燻した塩漬けの豚肉)。
煙水亭 ( エンスイテイ )
長江の南岸にある甘棠湖の中にある煙水亭。
三国時代、呉の都督(総大将) ” 周瑜 "が練兵した場所、また将軍 ” 程普 "の大陣営の跡地とされる場所。
(写真右上) 湖上に浮かぶ白い建物が煙水亭で、中には周瑜にまつわるものや、唐の詩人白居易の作品など、資料の展示室となっている。
潯陽楼 ( ジンヨウロウ )
甘棠湖からいくらも離れない、長江の南岸赤い楼閣が並んでいる。
その建物の一つに " 潯陽楼 " がある。これが最初にいつ建てられたのかは定かで無いが、早くは唐代の勅使の詩の中に記録があるのだとか。
明の時代に書かれた長編小説 " 水浒传 shui hu zhuan シュイフーズァン "( 中国四大古典名著の一つ )に描かれた場面があり、作品の反響と共に一躍その名が全国に広まったらしい。
私も、ここを訪れるまでに水滸伝の長編ドラマを見たことがあり、感慨深いものがあった。
宋江 song jiang という物語の重要人物がいる。物語で時代( 不条理な世の中 )に立ち上げった梁山泊108傑の中で、その人徳と才覚から仲間たちに推挙されその一群の頭領となる人物。彼がまだ " 押司 ya si ヤースー " という投獄や訴訟案件を扱う文官職のような立場 (役人ではないが、補助的な身分で一定の権力がある)にあったとき、この潯陽楼で酒に酔い、自分の身に降りかかった不幸や不条理な世の中を呪いながらここに詩を残す。この詩が人の目に留まり、” 反诗 fan shi ファンシー "(= 時の権力に抗う詩 )として裁かれ死罪を負うこととなる。
捕まり刑を受けるために移送される宋江、かつて彼に助けられた豪傑達が恩義により彼を救助し、仲間となる。。。有名な一場面である。
▲ もともとは " 提辖 ti xia ティーシャ "という立場の官僚役人だった彼は、正義のために卑劣漢に拳の鉄槌を下すが、殴り殺してしまい追われる身に。。。
追跡を逃れるために剃髪して、和尚となる。法名が " 智深 ジーシェン "。歩兵のリーダーとして物語で大活躍の彼は私の推しキャラなのでした。
別名、花和尚。。。
九江鎖江楼 ( サコウロウ )
鎖江楼ー ( 江天鎖钥楼 jiang tian suo tao lou、文峰塔 wen feng ta、铁牛 tie niu を合わせて1組の古建築としている ) は、潯陽楼からさほど離れない場所にある。
明代に建てられて約400年の歴史をもつという。
4頭あった鉄牛は明代の大地震で2頭を水に呑まれ、2頭が残ったらしい。
日清戦争時、塔は日本軍による戦火を受けて、三つの弾孔を残す(やや傾いてしまっている)も倒れず、現在にその姿を留めている。
大地震、風雨による侵食、砲火を凌いで現在も立ち続ける塔の姿を、九江の人々は、” 不屈のシンボル " として心の拠り所にしているようだ。
廬山
かつての毛沢東はじめ、多くの共産党幹部達が別荘を持ち余暇を過ごしたという、中国有数の避暑地。
他の有名な山々と違い、ほぼ山頂近くまで車で登ることができ、山頂は開け民宿、土産屋、ホテル、飲食店が連なって賑わい、人で溢れかえっている。
” 国慶節 "。秋真っただ中の行楽シーズン、大連休中に来てしまった。
登り下りの道路は多少広めでも、一度脇道に入り、山の中に開けたこの街の細い道に入るともう大変。駐車場がないので訪れる人、宿泊客の車がそこら中に路駐となっており、狭い通りが完全片側通行になって身動きが取れなくなる。
天候にも恵まれず、怪しい雲行き。。。
▶︎ 後編へ続く