miyuki

1984年生まれ。イラストレーターでありデザイナー。3人育児をしながら気がついたこと、読書の感想などをメモするように書いています。

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1984年生まれ。イラストレーターでありデザイナー。3人育児をしながら気がついたこと、読書の感想などをメモするように書いています。

最近の記事

末っ子のたいせつな「にんじょひめ」

4歳になったばかりの末っ子が肌身離さず持っているガーゼのブランケット。魚と貝と人魚の柄がプリントされたそれを、彼女は「にんじょひめ」と呼んで大切にしている。 その「にんじょひめ」がやってきたのは彼女が生まれる2年ほど前。6歳になる姉が生まれたときに、叔母である私の妹がカナダ土産として買ってきてくれたものだった。 もともとの持ち主である姉は時々触ることもあったけれど、特別な存在として扱うことはなく寒い時に羽織る程度の存在として日々を過ごしていた。 その「にんじょひめ」がい

    • 明け方の空を見るといつも思い出すこと

      青白くなってくる外の光。 まもなく朝がやってくる。 カーテンの隙間から漏れる、その青白い空を見るといつも思い出すことがある。 はじめての子を出産して数ヶ月。 朝も夜もない赤ちゃんのリズムに合わせて生活していたころ、夜になるのが恐怖だった。 なかなか寝ない赤ちゃんで、ようやく眠ったと思っても1時間おきに泣き声をあげた。 抱っこをして、揺らして、何とか寝かしつける。 抱っこしたままソファにゆっくり腰を下ろして、気がつくと私の瞼も閉じている。 そしてまた泣き声で目が覚める。 そ

      • わたしにとっての旅を見つける旅

        学生時代から30歳頃まで趣味を聞かれたら「旅行」と迷わず答えていた。 非日常感の中で刺激や発見を与えてくれる旅行は自分の人生に欠かせないものとして大きな存在だったのだ。 今でも旅行は好きだし、落ち着いたら行きたいところは山のようにある。 ただあの頃から比べると旅と自分との距離が遠くなったような寂しさを感じていた。 そんな時にこの本に出会い自分にとっての旅とは何か初めて考えることになった。 0メートルの旅との出会い出産してからは旅行がなかなかできず、行くとしても子供と楽し

        • きっと忘れてしまう、三人のこどもたちと過ごす何気ない日常(息つく間もない朝編)

          夜明け頃、ふにゃあという声で目を覚まし慌てて次女を抱き上げる。 夜泣きが激しい長女がようやく深い眠りについたので、まだ起こしたくない。 まだ薄暗い部屋の中で次女におっぱいをあげる。 暖房をつけていない寝室はひんやりとして、外気に触れる肌がきゅっと引き締まる。 ふうふう言いながら必死にしがみつき、母乳を吸っていく次女をぼんやりとした頭で眺める。 数ヶ月前と比べてずいぶん重たくなったなぁ。 ゴロン 壁にもたれて授乳している私のすぐ横まで長男が転がってきた。 起きたのかな、

          大丈夫?と聞かれると、大丈夫じゃなくても大丈夫と答えてしまうことについて考えてみた。

          女性が人生でつく嘘の多くが「大丈夫」という言葉というような話を耳にした。 どれほど正確な情報かは分からないが、それを聞いた時激しく同意した。 自分自身を振り返っても幾度となく口にしていた言葉。夫婦の会話の中で問いかけられた「大丈夫?」それに対して、特に子供が産まれてから数多くの“本当は大丈夫ではない”、「大丈夫」を口にしてきた。 そのことを思い出した時、そもそも「大丈夫」とは本来どういう言葉なのだろうと簡単に調べてみた。 1 あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしてい

          大丈夫?と聞かれると、大丈夫じゃなくても大丈夫と答えてしまうことについて考えてみた。

          巣籠もり生活で糸が切れた私が子供から学ぶこと

          子供たちが保育園に行かなくなって、数週間。 部屋はどんどん散らかるし、仕事ははかどらないし、ご飯は3食作らないといけないし、自分の時間はゼロになるし… で私は知らぬまにストレスが溜まりまくっていたようです。 子供とこんなにゆっくり過ごせることもないし、とそれほど窮屈に思っていたわけではなかったのですが、その瞬間はある日突然訪れたのです。 自宅で二人の子供を見ながら仕事をした平日がやっと終わり夫も仕事が休みの週末。久しぶりに朝バタバタせずに済むなぁ、とぼんやり思っていたら

          巣籠もり生活で糸が切れた私が子供から学ぶこと