末っ子のたいせつな「にんじょひめ」
4歳になったばかりの末っ子が肌身離さず持っているガーゼのブランケット。魚と貝と人魚の柄がプリントされたそれを、彼女は「にんじょひめ」と呼んで大切にしている。
その「にんじょひめ」がやってきたのは彼女が生まれる2年ほど前。6歳になる姉が生まれたときに、叔母である私の妹がカナダ土産として買ってきてくれたものだった。
もともとの持ち主である姉は時々触ることもあったけれど、特別な存在として扱うことはなく寒い時に羽織る程度の存在として日々を過ごしていた。
その「にんじょひめ」がいつ末っ子の心を射止めたのかはもう覚えていない。
お座りをするようになった頃には常に手元にあり、眠るときには探すようになっていた。眠たくなるとズリズリと自分のもとに引き寄せ、つまんで角を立たせると手のひらにその角をちょんちょんと当てるのだ。
ちょんちょん、ちょんちょんちょん、ちょんちょん…
そうしているうちに、気が付けばいつも夢の中。
「にんじょひめ」のおかげで末っ子の寝かしつけはとても楽だった。
それから数年を経た現在は彼女にとってより一層大切な存在になっているよう。
眠るときはもちろん、ごはんを食べるときも、お出かけをする時も、まるでお気に入りのお人形のようにそばに置いて日々を過ごしている。
今でも眠たくなると「にんじょひめは?」ときょろきょろするし、見つからない時は眠りにつくのに時間がかかる。
洗濯をすると窓に張り付いて10分おきに「かわいた?」と聞いてくるほど。
毎日握りしめられ、噛まれ、抱きしめられ、時にはタオル代わりに汗や涙を拭かれた「にんじょひめ」。生地は向こう側が透けるほど薄くなり、ところどころ穴も開いていて、あとどのくらい原型をとどめているか分からない。
洗濯をして風にゆられている「にんじょひめ」を眺めていると、いつかは“あのころ、人魚姫の柄のガーゼケットが大好きだったんだよ、覚えてる?”なんて会話をする日がいつかくるのかなあと時々想像して、ちょっぴり寂しくなったりする。
上のふたりにもそういう瞬間があったのだけれど、どんどん記憶や思い出が上書きされて忘れてしまっていて、末っ子のこういう瞬間にふと思い出して毎日毎日していたことなのに、忘れてしまうものなんだなあとハッとした。
この「にんじょひめ」の思い出も、私自身忘れてしまうのかもしれない。
だから、いつかこの気持ちを思いだせるようにここに残しておこう。