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呪いで死なない
みなさんは呪いって信じますか。それともオカルトだなって思いますか?
「親の呪い」という言葉は最近とてもよく聞きますよね。これはオカルト用語ではありませんが、かといって単なる比喩的表現とも思えません。苦しんでいる子どもからすれば、それは正真正銘の「呪い」のように感じられているはずです。
前回の「宇宙人でも死なない」では、呪いとはつまり、思考が言葉そのものに乗っ取られてしまうような言葉のことだ、と書きました。今回はそのような呪いについて、もう少し詳しく書いていこうと思います。
どうすれば呪いを解くことができるのか。現段階の暫定的な結論としては、呪いは別の呪いで上書きするしかないのではないか、と考えています。
呪いとはなにか
あらためて、ここでいう「呪い」とはなんのことか、というところから整理していきたいと思います。心霊現象、超常現象としての呪いについては今回は触れません。
言葉には力があります。日本語では言霊とも呼ばれますよね。
例えば、親から「おまえはだめだね」と言われ続けた子どもの心には、その言葉が深く刻み込まれてしまいます。すると植え付けられた「自分はだめなんだ」という思い込みを消すのはとても難しくなってしまうのです。
このように、言葉は心に刻み込まれることで、その人の思考を支配したり拘束する力があります。
親からの否定的な言葉だけでなく、肯定的な言葉も子どもを縛り付ける呪いになってしまうことがあります。よくあるのは「いい子」でいなければならない、という呪いです。子どもが無理をしていい子を演じているのに気づかず「いい子だね」と褒め続ければ、子どもはその言葉を裏切らないために、ますます本心を押し殺して「いい子」を演じるようになり、いずれどこかで限界がきます。
子どもは親から多くの言葉を学び、その言葉によって世界に対する理解を構築していくので、そのプロセスの途中で親から干渉・支配するような言葉を植え付けられると、世界に対する歪んだ認知が構築されてしまうのです。思考が言葉そのものに乗っ取られる、とはこのようなことを指しています。
また、前回も書きましたが、「勝ち組」「負け組」といった言葉のように、語彙そのものが意識に刷り込まれることで思考に影響する呪いの言葉があります。「勝ち組」「負け組」という言葉は、すべての人間がそのどちらかに分類できるかのような錯覚をもたらします。そして、負け組にならないために誰もがこの競争社会で努力しなければならないのだ、という思い込みを植え付けます。
こういった言葉も、人々の間に広まることで行動にまで影響を及ぼしています。その意味で、言葉に思考を乗っ取られているのです。
思考は言葉に誘導されている
呪いとは、思考が言葉そのものに乗っ取られてしまうような言葉のことだと言いました。これは、逆から言えば、思考は容易に言葉に乗っ取られてしまうということでもあります。
思考とは自分の自由意志が生み出しているものだ、と普通は考えますよね。でも実際には、思考は自分のもっているボキャブラリーや、今までに蓄積した思考パターンによってかなり誘導されているのです。
例えば、最近よく使われている「自己責任」という言葉があります。これも強力な呪いの言葉だと思います。よく、なにかの事情で働けなくなって困窮している人などに対して「自己責任なんだからそんな奴に社会保障を使うな」といった呪詛のような暴言をSNSで目にします。
「自己責任」は「自業自得」と意味としては全く同じです。一般的に、この言葉が使われるときのメッセージは決まって「自分が悪いんだから諦めろ、人に助けを求めるな」です。
誰か困っている人に対して「自業自得だよ」と直接言う人はあまりいません。でも、助けを差し伸べないことの言い訳のように「自己責任だから」と言う人はたくさんいます。意味としてはほとんど一緒なのに。
それは「自己責任」という言葉が「自業自得」よりもっともらしく、正しそうに見えるからです。ただそれだけの理由なのです。
「自己責任」と言うことで、苦しんでいる人を助けずに見過ごす自分を正当化できます。そういう言葉を手に入れると、人は簡単にその言葉を使うようになってしまうのです。誰かが痛い目に遭ったのをみたとき、すぐ「自己責任だよ」と言うようになってしまう。それは「自己責任」という語が、いつでもさっと取り出して使いやすい便利な言葉だからです。
そういう言葉を簡単に使うようになってしまったとき、思考を言葉に誘導されているのです。
そしてまた、「それは君の自己責任だよ」と言われたほうも、「自己責任」という呪いを刻み込まれて、「私が苦しいのは私のせいなんだ」という考えを内面化することになります。そうやって、呪いは言葉を媒介に人から人へと広まっていくのです。
簡単に使いやすい言葉を選んでしまうときにこそ、言葉に思考を支配されているのだということを意識する必要があります。
他者の言葉に頼る
自分で自分にかかっている呪いに気づくことは難しいです。そもそも誰もが違ったボキャブラリーや思考パターンを持っていて、ぴったり同じ人なんて一人もいないので、他人と違う考え方だからといってそれが呪いだと簡単に決めつけることもできません。
一番いいのは人と話すことです。呪いの言葉に思考のルートが規定されてしまっていると、そこから抜け出すことは容易ではありません。だから、ルートそのものを書き換えるしかない。そのためには、一人で考えるのではなく、自分のまだ持っていない言葉を外から与えてくれる他者が必要です。
凝り固まった考え方をほぐすのは難しいことです。それは自分の考え方を疑うということだから、自己否定のように感じてしまう人も多いでしょう。しかしそれは自分の問題を治すというよりも、自分にかかっている呪いを解くだけなのだ、とまずは考えてみてください。あなたの思考を、暗くて危険な森へ誘おうとする悪い言葉を取り除くのです。
呪いに気づくことができたとして、それを解くことはさらに難しいです。もっとも効果的な方法は、別の言葉で上書きすることです。だから、ここでもやはり他者と話すことが重要です。話す以外にも本などを読んでもいいのですが、そういう場面で手に取るべき本を正しく判断するのもなかなか難しいことです。
上書きする、と言っても簡単ではありません。例えば親から刷り込まれた「お前はだめだ」という呪いは、同じくらいの時間をかけて「あなたはすごい、いてくれるだけで尊い」という言葉を伝え続けてくれる他者の存在がなければなかなか解くことはできないでしょう。
また「自己責任」という言葉を他人に投げつけてしまうような人も、その呪いにかかってしまった根底には過去に「誰も助けてくれなかった」という経験があるはずです。誰にも助けられたことがない人が「自己責任なんて言わずに、助け合おう」と自力で呪いを解くことはすごく難しいのです。
他人に頼ることを敬遠しがちですが、それこそ「自己責任」という言葉が蔓延して、多くの人がそれにとらわれたことの結果でもあります。呪いを消すためには、信用できる他者の言葉を自分の中に導き入れて、上書きするしかありません。
自分の言葉をつくる
呪いを自覚して解くためには、自分の言葉をつくる、という意識を持つことが重要です。言葉に対する感度をもっと高めて、どういう言葉を選ぶのか、ということにもっと自覚的になること。「勝ち組」「負け組」という言葉を前にしたとき、それは私を無理やり競争の枠組みの中へと押し込めようとする言葉だな、と気付けるようになって、そういう言葉から距離を置くこと。
言葉をもっと疑わなければなりません。なにかを簡単に説明してくれる言葉に飛びつきたくなるとき、その衝動を抑えなければなりません。
私を規定しているこの言葉はどこから来たのか。ゆるがない事実のような顔をして私の頭の中に居座っているこの言葉は、本当に正しいのだろうか。私がその言葉しか知らないから、そう信じ込んでいるだけなのではないだろうか。
そうやって、言葉に疑いを持たなければ、自分にかかった呪いに気づくことはできません。
私が書いているのは、できるだけ何も考えずに楽に生きる方法ではなく、自分の頭で考えながら、できるだけ死なない方法です。それは思ったよりも簡単ではありません。でも、呪いの言葉に縛られて生きるよりは、自由に生きていきていたいと思いませんか。