2024/3/11(月) 3.11
東日本大震災から13年...
普通こうゆうの書くのは実際被災地にいた方々だと思う。
このnoteでは私の事を知らない人も読んでくれてるので、知って頂くために書いてみたいと思う。
私は実際に福島県には住んでいないけど、
お世話になった土地
JFAアカデミー福島卒校
(サッカーの学校?中高一貫寮生活)
福島県立富岡高校卒業
(勉強の学校)
時を戻して2011年3月11日
私は1ヶ月後から福島県楢葉町で寮生活が始まる予定だった
私は当初小学6年生
小学校にいた
大阪にしては珍しく震度3
授業中に揺れていたのを覚えている
家に帰ってテレビを見ると東北地方が大変な事に
地震に津波...
そして、寮の近くにある原子力発電所...
「どうなるんやろ?」「アカデミーの人らは大丈夫なんかな?」って感じだったと思う
実際私たちはたくさんの方々のおかげで
無事4月から静岡県御殿場市でJFAアカデミー福島の活動を始める事が出来た
今大人になってわかる
ものすごい協力があった事を
本当に時之栖や中学校、高校には感謝しかない
約3週間でサッカーの活動と中学校での活動が
出来るように準備してくれたんやから...
そして、私は6年間静岡で過ごした。
中学校は御殿場市の公立の中学校
高校は福島県立富岡高校
高校では年に2回福島に行った
同じ高校の福島で活動してる子達と交流会が
行われていた
2014年か2015年
この交流会で実際にJ-ヴィレッジ(サッカー施設/福島時代の活動拠点)と富岡高校の本校舎を訪れる機会があった
楢葉町や富岡町は原子力発電所から近いため
ずっと立ち入り禁止になっていた地区
私にとってJ-ヴィレッジは2010年選考会で訪れたのが最後だった
隣接ホテルの玄関ドアには
南アフリカW杯(2010)
のメンバーがプリントされたガラス窓
時は4.5年経ってるのに当時のまま
元々グランドだった場所は全面コンクリート
「あれ?あそこでサッカーしてたのに」
衝撃的だった
そして、富岡高校の本校舎
被災した日から時が止まっていた
時計の針、教科書、何もかもが
2011/3/11
のままだった
あの空気感や教室の様子が
今でも鮮明に覚えている
福島県立富岡高校は私たちの学生を最後に休校になった
私達がアカデミー福島に
入校したあの年から13年
今年で静岡県での活動が終わり福島県に戻って
活動を再開する
13年間アカデミーを受け入れてくれた静岡県にはほんとう感謝ですね
震災を通して毎年"今"がある事への
ありがたさを考えさせられる
一瞬で当たり前の日常がなくなってしまう
それはいつ、どこで、誰が、どうなるのか
誰も分からない
伝えたい事はちゃんと伝えて
やりたい事やって
人生を謳歌しようと思う