じじいと愉快な仲間達・長谷部の巻・其の壱
さて、つらつらと書いてきた「映画刀剣乱舞」の長い長い感想をここまでずっと読んでくださった奇特な方へも、ここから読み始めてくださっている方へも、改めて御礼申し上げる。
いやここから読んでみたはいいけどお前は何を言っているんだ(ミルコ状態)になった方は、お時間があればこちらからお読みいただきたい。
それでは、ここからはじじいだけでなく、彼の周りの刀剣男士達、それから信長や秀吉との関わりも含めた考察を書いていこうと思う。
ところで、これを書きあぐねている最中に、ついに待ちに待った「映画刀剣乱舞」のBlu-ray・DVDの発売が来たる6月19日に決まった。レンタルは6月5日から開始される。そのためついに公式が映画情報を解禁にしたようである。であるからして、こちらのnoteももはやネタバレには配慮しない。何卒ご注意されたし。
まずはへし切長谷部から。
へし切長谷部。刀本体のことに少し触れると、鎌倉〜南北朝時代に活躍したと言われる名刀工、長谷部国重の傑作である。武士が台頭する乱世の最中に作られたということで、美しさを念頭に置いた平安刀とはやはり佇まいを異とする。元は大太刀であり、後に今の姿に磨り上げられた。
三日月とは全然別の意味での主ガチ勢、それがへし切長谷部という刀剣男士
刀剣男士としての彼は審神者ならご存知の通り、真面目を鋼に溶かして刀の形に固め打ったような性格である。真面目すぎて主君への愛が大暴走し、君のためなら、もとい主のためなら死ねる、を日常茶飯事のようにこなせる男、それがへし切長谷部だ。
おそらくそんな拗らせた性格になったのは、持ち主だった織田信長が彼を直臣ではなかった黒田孝高(官兵衛)に下げ渡したという逸話が元になっていると思われる(ただし黒田孝高はのちに信長に仕えている)。よほど一人の主に長く愛されたいと云う思いがあるのだろう。
しかしガチの刀剣界では、信長から秀吉へ与えられ、秀吉が黒田孝高に与えたというのが通説になっているそうだ。ただどちらにせよ、棚ごと人を圧し切る(へし切、の名の由来であるが、本刃は気に入らないようだ。しかし現代語の「『おしきり』長谷部」となるより大分ましなのではと云う気もする)という厨二病じみた逸話を持ち、のちに国宝になるほどの名物でありながら、信長がさっさと臣下に下げ渡した、ということが、彼の矜持をいたく傷つける出来事だったのは間違いなく、これに関しては映画でもゲーム内でも長谷部自身がねちねちと語っている。
そんなあるじ命の長谷部と、銀幕本丸では長谷部より早く顕現した(と思われる)ゆえに長谷部より主と懇意にしている三日月は、最初の方から不穏な空気を漂わせている。
最初の出陣の後、首尾の報告に行こうとした三日月に同行しようとした長谷部を「堅苦しいのは主も嫌いだしな」とわざとカチンと来るような言い方で止めている。もちろんこれは単なる意地悪ではなく、何が何でもあるじに帰還の挨拶をせねばならぬと思っている長谷部の実直さを心得ている三日月がそこを逆手に取り、絶対主の元へ長谷部(や他の刀剣男士たちも)来させないようにするための物言いだったと思われる。あるじに嫌われるかも、という思いは長谷部にとっては不敬より脅威だっただろう。
さらにその後、長谷部は皆の前で、近頃三日月しか主のお傍へ行けないこと、それが三日月のせいではないかと愚痴をこぼす。タイミングよく現れた三日月にそれを聞かれていたと悟ると、真面目な長谷部はばつが悪そうにしながらもきちんと謝罪するのである。真面目か。
まったく愛いやつだなと三日月は絶対思っていると思うが、同時にいたく傷ついてもいると思われる。何故なら、皆で食べるつもりであっただろう(9本あるのは恐らく見栄えもあるが暗喩も込められている気がする)三色団子を置いて、茶の間を出て行ってしまうからだ。
長谷部だからああしてはっきり口に出したが、ならば他の皆も口にしこそしないが薄々はそう感じているのだろうな、とは思っただろう。このエピソードで分かるのは、三日月はやはり仲間のことが大事なのだということだ。嫌いな相手に嫌われても大したことはない。だが大事な相手に疑念を持たれるのは辛い。
薄々どころか、「主と三日月は結託して何かを隠しているようだ」ということは、結構な勢いで皆感づいている(多分あの様子だと、長谷部だけ全く気づいておらず、ただ三日月が主と仲良くしているのを羨んでいるだけである)。山姥切に云わせなくとも確かにあまりに下手すぎる。皆に疑ってくれと云わんばかりなのだ。ただそれでも尚本当のことは云えない(秘密は知っている人間が少ない方が良いとはいえ)ところ、よくよく考えると三日月宗近は隠し事に全く向いていないのではないかと思われる。
斯くして、信長が無銘の手によって本能寺から逃げ延びたことを知った老審神者と三日月は密談の結果、信長を暗殺すべく再出陣を決める。
長谷部はここでも、三日月と主が二人だけで協議していることに不満を漏らしている。お前ほんとどんだけ主と話したいんだよ!と突っ込みたくなる。長谷部が不満なのは(おそらく他の刀剣男士たちがうっすら思っていたかもしれぬ)三日月がもしや陰謀を企てているのでは、などということではなく、あくまで主のことに自分が関われないこと、なのだ。
主人愛がちょっと斜め上にずれている。しかし長谷部自身は多分本気で何時でも真面目で、面白いことをしているつもりは全くないのだろうが、それが却って面白くなってしまう。図らずもコミックリリーフを仰せつかってしまう所以である。
そしてついに、溜め込んできた三日月への不満が爆発する時がやってくる。
光秀が逃げ込んだ勝竜寺城を見下ろしている信長が、秀吉へ密書を出す。伝令役の時間遡行軍の兵が走ったことに気づいた長谷部が、自分がそれを止めるべく行こうとする場面である。
三日月は長谷部の行動を「今は慎重にな」と諌めるが、そもそもあれこれ隊長のやることが気に食わなかった長谷部は「やる気があるのか」と逆に三日月に熱り立つ。しかしそれを冗談のように誤魔化された長谷部はついに逆上して胸ぐらを掴み上げる。顔色一つ変えないじじい。
正直に告白すると、血気に逸ってやたら三日月を目の敵にする銀幕本丸の長谷部が私は当初はそんなに好きになれなかった。「任せよう」という言葉に何も答えず、暗い目をキッと向けて去る長谷部。それを見送る切ない目をしたじじい。辛い辛すぎる。
一度目の鑑賞のあとは殊に、三日月の隠し事の真意が分かってしまったために、余計に「じじいの気持ちも知らないでこいつは……!」とこのシーンだけは本当に「しんどい」というより「悲しい気持ち」になっていたこともある。
だがしかし、三日月には三日月なりに考えがあったように、長谷部だって主のことを真剣に考えた上での行動なのである。言うなれば功を焦る気持ちもあっただろうが、それは織田信長暗殺があくまで「主命である」からだ。長谷部にとっては主を守ることと主命を貫くことはほぼ同義である。
私は映画館を出て三歩歩くと内容を忘れてしまう鳥頭故、幾度も鑑賞を重ねて漸く長谷部の思いにも共感できるようになった。もともと「刀剣乱舞ONLINE」では推し男士の一振りなので、今では三日月に噛み付く彼の姿すら愛おしいと思える。
ただ長谷部は、全てを救うため「三日月が己を犠牲にしようと決意していた」というところまでは思い至らなかったようで、これは「主のためなら己を犠牲にするのも厭わぬ」という精神が長谷部にとっても当たり前だったから逆に気づけなかったのでは、という気もしている。
さて、秀吉との謁見場面であるが、いきなり八嶋秀吉との愉快な掛け合いで始まる。ここは三者三様にかなりアドリブを入れていることが脚本を読むとわかる。シナリオブックを買ってみるととっても楽しいのでお勧めする。
長谷部に切られて消えた時間遡行軍のことを秀吉に問い詰められて、日本号がとっさについた適当な嘘に戸惑う長谷部。日本号と秀吉に詰め寄られた後の長谷部の「………(コクリ)」は国宝級の可愛さだ。
こんなに不器用に可愛く頷ける刀剣男士は、この世にへし切長谷部ただ一振りしか存在しない(断言)。
しかしながら、私はその後の場面で、かなり長いこと思い違いをしていた。秀吉の問いに長谷部は全くの辿々しい棒読みで「御意」と二度とも答えるのだが、その棒読みさ加減にもしかして………中の人………アレなの?と思っていたのだ。
陰口のような真似は謝る。だが思っていたことは本当だ(二度目)。
それにしても、あのぎこちなさこそが演技だったとは………
私がもっと慎重に観るべきだった………すまない。
あれは「嘘が苦手な長谷部だからこそ」なのだ!
最初の秀吉の「密書は罠だったのか」という問いかけに「御意」と答えなければ信長が生きていることになってしまうし、さらに「やはりお館様は亡くなったと?」との念押しの問いにももちろん「御意」と答えるしかない。
しかしどの答えも本当は嘘だ。安土城に来いと云う密書は、まだ生きている信長本人が書いたものなのだから。それを知っている長谷部は嘘を吐かねばならないが、どう考えてもあの長谷部の口から立て板に水のごとき嘘がスラスラと出てくるとは思えない。下手に言葉を紡げば襤褸が出る(本刃も心得ているのだろう)。だからあの短い、拙い返事なのだ。むしろここでの「御意」はあのようにぎこちなく「言わされた感」が必須である。
この二度の短い台詞だけで「へし切長谷部は嘘が下手である(そしてそれを己も心得ている)」という性格を読み取らせることができるのだから、その意図に気づいた時には靖子様凄い……そしてそれを汲み取った演技をした中の人凄い……と唸ってしまった。本当にすまない。
ところで、信長と三日月が廃寺で主従ごっこ(違う)をしているときに三日月は己が「三日月宗近」であると堂々と名乗りを上げているが、それに対して長谷部と日本号は秀吉に名を聞かれた際、言葉を濁し誤魔化している。これは秀吉が長谷部と日本号の元主であることを暗に語っているのだろうと思う。
その後、山姥切からの伝書鳩によって、三日月の「裏切り」を知り、長谷部はますます三日月への不信を募らせる。「何を考えているんだ」と言ったあの言葉は長谷部の心情そのままなのだろう。多分本当にわからないからそう云った、という感がある。長谷部がむくれているのはもちろん三日月が主命に背いたからだろうが、それによってますます「やはり三日月と主は二人だけで何かしている」と思ったからではないだろうか。可愛い奴め。
「陰謀」だの「奸計」だの、そういう言葉と無縁の長谷部は三日月とはまた別の意味で、隠し事のできない性分だと思われる。日本号もそんな長谷部の性格をわかっているからこそ、出陣前に自分が聞いてしまったこと、「悪い方の解釈」を敢えて言わなかったのだろう。
実は、各々の考察は一章ずつに収めるつもりだったが、思いの外長くなったため、長谷部の章は二章に分けて書こうと思う。
それでは、其の壱は此処まで。