異常や病気の基準って?社会生活上の便宜上の区分?
全ての人が自分基準で生きてる、といえるのかと
自分以外の人の思いや考えは、信じて受け入れる以外になく、理解は想像の域でしかないような
自分を基準にすると自分は自分なので異常ではなく正常とも違って、ってどうでもいい基準になるような
多数の人と共生していく世の中では、どこか線引きしたらグループ分けして対応してくことで円滑にまわることは多い
そんな中の区分けの一つが異常と正常なのかなぁ?と
正しいや間違いも似てる区分け
条件や状況が変われば判断も逆転することは多々
子どもが成長していく中で混乱するところ、しても良かったことがダメと一転される戸惑った経験を思い出します
病気認定?も似ているような
社会参加が困難になる状態になると病院に行き診断を受け病名がつけられる
病院に行かなければ、診断名はない
以前の投稿で、精神的に難ありと表現と自分のことを取り上げました
自分のことをほぼ理解してる自分としては、他人様と比較すると異常な部分を感じる点は多数
他人様からは異常と言われたことはなく、性格という次元で楽しい人とか面白い人とか個性として判断され社会参加しています
社会的に可視化するしないで、扱いの差は雲泥の差となることも
演じてカモフラージュすることで異常扱いされずにいることで社会参加もしていられます
いつの間にやら楽しめるゆとりが身についてましたね〜
とにかく他人様のお役に少しでも立てる自分でいたくて
他人様の手を借りることを極力少なくしたいと意識することで、自分でできる範囲の中で生きてます
出来ることばかり
出来ないことは、出来るようになることを楽しめる範囲でチャレンジして出来る!にステップアップさせながら
居心地がいいので続けられそう(*´꒳`*)