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「いらないもの」を貰ってしまったときどうするか

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自分もよく「ガッカリ」させてしまう

贈り物にはギャンブルっぽいところがある。自分は良いチョイスをしたつもりでも、相手はガッカリ、なんてことはたまにある。いや、けっこうある。

正直ガッカリさせてる自覚がけっこうあるので、たまに「ハズレ」が回ってくるとそうだよね、みんなそんなもんだよね!みたいに安心すらするとき、ある。

「お互い様」って発想があると下手な贈られ物にも優しくなれて、そこそこ救いになると思うのだがいかがだろうか。


贈り物コミュニケーションから距離を置く

つまり私は贈り物が苦手だ。

だから贈り物コミュニケーションからはできるだけ距離を置くようにしている。贈り物をもらったらめっちゃ感謝は伝えつつ、ぐっとこらえて、お返しはしない。

相談者さんも私と同じように贈り物コミュニケーション自体が苦手なようならば話は早い。苦手分野からは手を引こう。

コミュニケーションの形は色々ある。会話は苦手だけど、文章なら自分のペースで思考をまとめられるから得意、という人もいる。

贈り物で相手を喜ばせるのは苦手だけど、急に助けを求められたときに誰よりもフットワーク軽く、相手のために動ける、という人もいる。

物を贈りあうだけがコミュニケーションじゃない。自分の得意なコミュニケーションを選ぼう。


「物」と「想い」をきっちり分けて考える

大学で情報コミュニケーションを研究した身としては、「贈り物」の文化は実に興味深い。

贈り物はいつも、ふたつのものがセットになっている。

まずやりとりされる「物」そのもの。
そして物に乗せられた「想い」だ。

贈り物において「物」はむしろおまけである。
贈り物の本体は「想い」のほうだ。

旅行に行った際、なぜお土産を買うのか。仕事を休んで遊んで、負担をかけてごめんね、という「想い」を伝えたいからだ。

冠婚葬祭でなぜ多額の金品を贈るのか。私のときも祝ってね。助けてね。という「想い」を伝えたいからだ。

もちろん「あなたに喜んで欲しい」「あのとき助けてくれてありがとう」「あなたを助けたい」という利他的な想いも同時に乗っかっていることは間違いない。

しかし完全に純粋ピュアな利他の想いだけで贈り物がなされることってほとんどないんじゃないだろうか。

さらに「自分はこんなにすごいんだぜ」という強い承認欲求や「あなたをコントロールしたい」という執着がブレンドされていることもある。

・「物」と「想い」は別物
・色々な「想い」が乗っかっている

ということをまずは頭で理解する。

そして受け取るべきは相手の純粋な「あなたを喜ばせたい」という想い。それだけは気持ちよく受け取ってあげよう。そしてその想いに対して、「ありがとう」を返すのだ。

それ以外の承認欲求とか期待みたいなのは、まぁ、未熟な人ほどこういう余計な想いを乗せてしまうのだ。お可愛いではないか。赦してあげてほしい。


いらなかったら捨ててもいい

贈り物コミュニケーションのメインコンテンツは、相手の利他的な「想い」を受け止めることだ。物は様々な「想い」を媒介するためのツールにすぎない。

相手の純粋な「あなたを喜ばせたい」という想いを受け取り、その想いに対して「ありがとう」を返す。これでコミュニケーションは完了している。

大事なことだから何度も強調したいのだが、「ありがとう」は「私を喜ばせたいと想ってくれてありがとう」だ。「こんなに高いものをありがとう」ではない。

何をもらったにせよ、どんな「想い」が乗っているにせよ、相手の「あなたを喜ばせたい」という想いは探せば必ずあるはずで、それを素直に受け取ろう。

そして、受け取った「物」をあなたが気に入るかどうか、受け取ったあとでどう扱うかは些末な問題にすぎない。なぜならこれは、物と私の問題だから。

いらなかったら捨ててもいい。

いちばん大切な儀式はもう終わった。役割を果たした「物」をその後どのように扱うかは、贈り主や、贈り主の想いとは、もはや何も関係がない。

むしろ、物それ自体が気に入らないからといって、くれた相手のことを憎んだり嫌いになってしまうのだとしたら本末転倒である。


捨てられないなら

なんて言っておきながら……もらったものを捨てるのは、めちゃくちゃ抵抗を感じます。すみません。「捨てたらいい」とか言ってみたけど現実問題、さすがに捨てるのは難しいです。

物と想いを分離するのは、頭で理解していても難しい。

だからこそ、捨てられないからこそ、人間は「保管」するのでしょう。田舎の押入れはそんな「捨てられない想い」の発酵部屋なのでしょう。

どこの田舎の押し入れにも、ダサいタオルや食器が山積みになっている。お祝いでもらったが、デザイン的に日常使いする気にもなれず、かといって捨てることもできずここに流れ着き、悠久の時を過ごしてきた……ダサい……タオルや食器たち……

そういった品々は、子供が一人暮らしを始めたり子供を生んだりしたときに一気に放出される。時を経てついに、意味を見いだされるのである。

捨てられなければ、譲る。
譲る相手がいなければ、保管しておく。

災害時や、急な住環境の変化にはこういったストックがとても役に立つ。

もらった直後は手放せなくても、5年とか10年経てば想いは蒸発する。捨てやすくなる。

あるいは時とともに想いが発酵し、懐かしさを醸し出すこともある。それならそれで、大切な思い出として手元に置いておけばいい。


贈り物がいらなかったら相手にどう伝えるべきか

というわけで、「いらない贈り物をもらってしまったら、相手にどう伝えるべきか」という質問には

「(私のことを考えて、贈り物を選んでくれて)ありがとう」の一言を伝えよう、と答えたい。

贈られた「物」に対する感想は伝えなくていい。玩具付菓子についているラムネがおいしいかどうかくらいにはどうでもいいことなので、伝えにくいなら伝える必要性はない。「どうだった?」って聞かれたら「おいしかったよ」と、やさしい嘘をついてあげよう。繰り返すが贈り物の本質はそこにはないから。


それでも「伝えなければ」と感じるのなら

それでも「伝えなければならない」「いやむしろ伝えたい」と感じるのだとしたら、それは贈り物コミュニケーションのふりをした、単なる交換、商取引なのかもしれない。

こういう場合は「想い」のやりとり、という抽象的な話ではなくもっとシンプルだ。ビジネスライクに処理すればいい。こちらはもっとフェアな取引を望んていることを伝える。それが難しいならば今後は取引をしない。「win-win or no deal」というやつだ。

その辺りについては別のテーマになるので、また別の機会があれば書いてみたい。


CM

過不足のないタスク管理とメンタルマネジメントで、安心して仕事ができるようになろう、というコンセプトの本です。おかげさまでもうすぐ10万部。


いま聴いてほしい本を紹介するPodcast番組『オーディオブックカフェ』のパーソナリティーをしています。


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