【7月16日】表現したい想いとかより表現している最中に何を考えているかが表現の出来を決める
オーディオブックカフェでヤマザキマリさんの『国境のない生き方: 私をつくった本と旅』を紹介した。
この回は旅が好きな人はもちろんのこと、僕みたいな巣ごもりタイプの人にも聴いてみてほしい。
またオーディオブック.jpの聴き放題プランの方では、久々に鳥井さんと抽象的な話で盛り上がったので、そういうのが好きな人はぜひこちらも聴いてみてほしいです。
本編でも話したけど、じつはこの本を読み進めるのはちょっとしんどかった。
とても共感する。
世界を周り、本を読み、昆虫を観察し、絵を描く。配信でもふれているが、僕はそんなヤマザキさんの行動力に、劣等感と嫉妬を感じてしまった。
でもじゃあ僕は、旅がしたいのにできない境遇なのだ、というわけでもない。仕事柄いつでもどこにでも行こうと思えばいける。理論上は。でも旅どころか、外に出ることすらめんどうくさがる巣ごもり体質なのだ。
旅をしたいわけでもないのに嫉妬する。
なるほど。僕は自由に旅をするヤマザキさんが羨ましいのではなく、旅という経験をしっかり人生に活かして「成功」しているヤマザキマリさんが羨ましいのか。
成功が妬ましいという、とてもシンプルでダサい結論がでてしまった。
でもこのダサい結論をそのまま書いて出せるようになったのはなんか成長したような気がしないでもない。
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ところでここまで書きながら、「文章を書く」という行為には、色々な原動力が働いているのだということに気づいた。
この文章をここまで書き進める原動力になったのは、
嫉妬
今日中に書き上げたい
オーディオブックカフェの告知を兼ねたい
自分の思考を突き詰めたい
誰かに読んでほしい
感想がほしい
ざっと思いつくままに書き上げてもけっこうあった。
最初に表現したい思いの種みたいなものが胸の中に生まれて、それを分析したらどうやら「嫉妬」という名前がつきそうだ、ということがわかってきて、そこからさらに書き進めていくうちに、色々な思惑が言葉の選び方に影響を与えているということが見えてきた。
オーディオブックカフェのことを知ってほしいから引用を入れたいだとか、嫉妬しすぎて強めの表現を書きそうになって消したりとか、抽象的すぎてこれじゃ読み手に意味が伝わらない、と表現を変えたりとか、うわ、なるほど、めっちゃおもしろい、そうだったのか自分!と興奮して自分勝手に書きなぐったりとか。そうやっていろんな思惑の影響を受けながら、文章が編み上げられていく。
最初に生まれた表現の種に、僕は「嫉妬」という名前をつけた。どちらかというとネガティブな印象をもつ言葉だ。でも実は、ヤマザキマリさんの本から受け取った想いの塊はもっともっと多様で豊富な意味と可能性を含んでいたような気がしてきた。表現とは、それ以外だったかもしれない可能性を削ぎ落としていく作業です。
それを今回僕はたまたま「嫉妬」という名前をつけるところから、種を育てるプロセスがはじまった。
表現の種が旅行で得たものなのか本で得たものなのか、誰かと喧嘩して得たものなのか、怒りなのか喜びなのか。その出どころはけっこうどうでもいいのかもしれない。
それよりも種を育て、形にしていく過程で、自分がどんな思惑に突き動かされながら手を動かしているのかに自覚的であり続けることのほうがよっぽど重要かもしれないと思った。