科学と聖書にまつわる随想(37)
「昆虫の変態」
地球上には実に様々な種類の生物がいます。動物は約140万種で、そのうち約100万種が昆虫だそうです。つまり、動物の種類の約70%が昆虫ということになります。昆虫は、体が小さく群生しているものも多いですから、個体数で言えばもっと大きな割合を占めるのではないかと思われます。昆虫とは、頭部・胸部・腹部の3つの部分に分かれた体を持つ節足動物で、胸部に3対(6本)の脚を持つもの、というのが生物学上の定義です。ですから、例えば、クモは脚が8本ありますから昆虫ではありません。
昆虫の一生は、その成長過程に特徴があります。親から卵で産まれ、幼虫から成虫へと成長して行く間に“変態”を遂げるところが特徴的です。“変態”といっても“変なオジサン”になるのではないことはもちろんです。幼虫からサナギ(蛹)を経て成虫になる場合を“完全変態”、サナギの状態を経ずに脱皮して成虫になる場合を“不完全変態”と呼びます。昆虫の約75%が“完全変態”をするそうです。身近なところでは、草むらなどで蝶のサナギを見かけることがあります。よく軒先にぶら下がっているミノ虫(ミノガという蛾の幼虫)も、ミノの中でサナギになってから羽化します。
卵から幼虫、成虫と成長している過程で、各段階の期間がどれくらいの時間の長さか、ということは種類によって異なりますが、概して幼虫の期間が非常に長く、成虫になってから一生を終えるまでは比較的短い、というパターンが多いように思います。典型的な例がセミでしょう。セミは不完全変態の昆虫なのでサナギにはなりませんが、よく知られているように、幼虫として土の中で何年も過ごし、土から出てきて脱皮して成虫になってからは、長くて1ケ月程の命です。カブトムシやクワガタムシも、一生の大半は土の中で幼虫・サナギの状態で過ごすそうです。カゲロウは幼虫の期間は半年ほどありますが、成虫になってからは数時間から長くて数日程度だそうで、短く儚いものの譬えに使われたりするくらいです。
幼虫は、特に完全変態の昆虫の場合、成虫とは大きく姿・形が異なっています。「みにくいアヒルの子」どころの変化ではありません。例えば、いわゆるイモムシは、蝶や蛾の幼虫です。昆虫は脚が6本のはずですが、草の枝や葉っぱの上をモソモソ歩いているイモムシには脚が沢山付いているように見えます。しかし、実は、本当の脚は前の6本で、残りは“腹脚”といって腹の一部が突起状になって足のような働きをするものだそうです。また、アゲハチョウの幼虫には2つの大きな目玉模様が付いていますが、これも鳥などの捕食者を欺くための“眼状紋”であって、本当の眼は頭の先に黒い点のように付いているものだそうです。
蝶は、イモムシの状態からサナギになって、やがてサナギの殻が割れて、そこから羽の生えた成虫が出てくるのですが、その過程の変化というのは、まさに不思議としか言いようがありません。サナギの中では何が起こっているのだろうか、ということは誰しもが謎に思うところではないでしょうか? どうやら、サナギの中では、イモムシ時代の体の組織が一旦破壊されて、ドロドロのスープ状になっているそうです。そのドロドロのスープから成虫の姿の体が再構築されて、やがて時が来ると殻を割って登場する、ということだそうです。
進化論者たちが主張するような何万年、何億年といったような長い時間をかけること無しに、ドロドロの混沌とした無秩序な状態から、蝶の体という美しい機能体がわずか数日で建て上げられるのですから、このプロセスが偶然に進行するものであるはずは無いでしょう。そこには設計者の意志と創造の手が働いていることは明白です。
イモムシからサナギになって、美しい羽の生えた蝶に変わるのは、まさに新しく生まれ変わるようです。
そして、新しい体を得るためには、サナギの中でドロドロのスープ状になるように、古い体を一旦壊す必要があります。すなわち、神(創造主)の威光の前に、畏れつつ打ち砕かれて平伏し、新しく造られた者に再構築して頂かねばなりません。
多くの昆虫が、長い幼虫の時代を経てからサナギになり、そうしてやっと成虫になるという事実は、私たちが新しく造られたものとして成熟するためには、多くの試練を経て練られる必要があることを示唆しているように感じます。