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  • 科学と聖書にまつわる随想

    「科学」と「聖書」をテーマにあれこれ思いめぐらしたことを綴ってみています。

最近の記事

科学と聖書にまつわる随想(20)

「スペクトラム拡散通信」  昔、アメリカのテレビドラマで「バイオニック・ジェミー」というのがありました。事故で瀕死の重傷を負った女性が手術で助かるのですが、その手術によってサイボーグ化されて超人的なパワーと能力を持つようになり、その特殊能力を用いて諜報員として活躍する、という内容のSFドラマです。その特殊能力の一つに驚異的な聴力がありました。ジェミーが耳をピクピク動かすと、ずっと離れたところの人の会話を盗聴器のように聴き取ることができるのです。周囲がガヤガヤとした雑踏の中で

    • 科学と聖書にまつわる随想(19)

      「別の命(その2)」  「はたらく細胞」というマンガがあります。役者が演じて実写版で映画化もされるそうです。赤血球や白血球など、体の中の様々な細胞がキャラクタ化されて、その働きをストーリーを通して分かりやすく教えてくれる面白いマンガだと思います。実際の赤血球や白血球は、マンガのキャラクタのように顔や手足も無ければ意思を持って動いている訳でもありませんが、体内で作り出されて、ある期間働いたら分解されるという新陳代謝を繰り返しており、言わば寿命を持っている存在です。  腸は“

      • 科学と聖書にまつわる随想(18)

        「別の命」  一般に、今どきの自動車は、エンジンやブレーキ、ステアリング、トランスミッションなどの様々な機能は全て、それぞれマイクロコンピュータを搭載したECU(Electronic Control Unit)によって電子制御されており、各ECUはCAN(Controller Area Network)と呼ばれるネットワークでお互いに繋がれて通信を行いながら自動車全体の動作をコントロールしています。私たちが車を運転する時、何気なしにアクセルやブレーキを踏みハンドルを回して、

        • 科学と聖書にまつわる随想(17)

          「アナログとデジタル(その2)」  私たちの身の回りの自然界の物理量は基本的に“アナログ量”、つまり、連続的にどんな値でもとり得る量、と考えてよいでしょう。しかし、細かい目で見ると、実はそうでもないことが分かります。  例えば、物の重さ(質量)について考えてみましょう。話を簡単にするために均一な材質(例えば、鉄)としましょう。鉄の塊の質量は、どんな大きさにも調節できるように思いますが、鉄は原子番号26番の鉄の原子が集まってできてますので、原子は一つ二つと数えられるものである

        科学と聖書にまつわる随想(20)

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        • 科学と聖書にまつわる随想
          20本

        記事

          科学と聖書にまつわる随想(16)

          「アナログとデジタル」  時計にはアナログ時計とデジタル時計があります。“アナログ(analog(ue))”とは“類似”あるいは“類似物”という意味です。“アナロジー(類推、例え)”という言葉と同根だと思います。アナログ時計は、時間の経過量と針の回転角度が類似(相似)の関係にある、つまり、例えば5分が10分になったら、針の指す角度も2倍になる、ということです。一方、“デジタル(digital)”はdigit(桁)の形容詞形で、数値で表現することを意味します。この場合、数値を

          科学と聖書にまつわる随想(16)

          科学と聖書にまつわる随想(15)

          「テロメア」  私たちの体は無数の細胞が集まってできていて、常に細胞分裂を繰り返して新しい細胞が生まれ新陳代謝が行われている、ということはご承知の通りです。細胞がどれくらいの周期で入れ替わるのかは、体の部位によっても違いはあるでしょう。皮膚や爪のように、確かに頻繁に細胞が入れ替わってるに違いない、と実感できる部位もあれば、脳の神経細胞などは、成長期を過ぎれば後は減る一方と考えられていたのが、実はそうでもないということが最近になって明らかになった、という話も聞きます。いずれに

          科学と聖書にまつわる随想(15)

          科学と聖書にまつわる随想(14)

          「フラクタル」  “無限アート”というのがあります。絵の一部を拡大してズームインしていくとその中に別の絵が現れてきて、その一部をまたズームインしていくとまた別の絵が現れ、さらにその一部をズームインしていくと......というのがずっと続く絵です。幾何学の分野でいう“フラクタル図形”はこれと似た性質のものです。  代表的なフラクタル図形の例として“コッホ曲線”があります。ある長さ(Lとします)の線分を3等分し、真ん中の区画に一辺がL/3の正三角形を乗せて、真ん中の区画をその

          科学と聖書にまつわる随想(14)

          科学と聖書にまつわる随想(13)

          「調和と音楽」  科学者には音楽好きが多いように思います。かのアインシュタインもバイオリンが非常に上手だったそうです。楽典を学ぶと、音楽は数学や論理的な思考と親和性が高いことが分かりますので、それがこの理由の一つではないかと思われます。科学は本来、自然界の被造物に記された“神(創造主)のことば”を読み解こうとする知的活動、というのがその原点ですから、秩序と調和の取れたものに対して向き合うという点において、音楽は科学者の感性によく馴染むのだと思います。  音は、空気の振動(

          科学と聖書にまつわる随想(13)

          科学と聖書にまつわる随想(12)

          「宇宙人はいるか?」  UFOの話題は、衝撃映像を集めたテレビ番組などでもよく取り上げられることがあります。しかし、近年はフェイク動画を誰でも簡単に作り出すことができるようですから、よくよく注意が必要だと思います。UFOとは未確認飛行物体(Unidentified Flying Object)のことですから、何だか正体がよく分からないものが空を飛んでいたら、言葉の定義に依れば、それはとにかくUFOであることには違いはありません。夜に明るく光るものが空を走って消えたとしたら、

          科学と聖書にまつわる随想(12)

          科学と聖書にまつわる随想(11)

          「食物と味覚」  近年は、省エネルギーへの意識が高くなってきて、家電製品を省エネ型に買い替えると年間いくらお得、などという話もよく耳にします。いつも使っている家電製品の消費電力がどれほどなのか、ということにも普段から意識が向くようになってきました。ところで、電力の単位はワット(W)ですが、1 Wというのがどれほどのものか、ということについては具体的なイメージはお持ちでしょうか?  電力とは仕事率、つまり、単位時間にする仕事のことです。物理学で言う“仕事”はエネルギーや熱量

          科学と聖書にまつわる随想(11)

          科学と聖書にまつわる随想(10)

          「虹の7色」  太陽光のスペクトルと人間の目の視感度のスペクトルのグラフは、どちらも500nmほどの波長(緑色の光)のあたりにピークがあって形が似ています。進化論者はこれを、人間の目が太陽光のスペクトルに合わせて進化してきたからだ、と言って片付けます。しかし、だとすれば、植物の葉が緑色なのはどうしてでしょうか? 緑色に見えるということは、波長500nm付近の緑色の光を良く反射しているということです。光合成のためには光を吸収する必要があるのに、一番強いところの波長の光を反射し

          科学と聖書にまつわる随想(10)

          科学と聖書にまつわる随想(9)

          「能力の限界」  私たちの目に見える光(可視光)は、およそ400nm~700nmほどの波長範囲しかありませんが、この範囲外の光に視感度を持つ動物もいるようです。例えば、昆虫には紫外線が見えると言われれています。夜、蛍光灯に虫が集まるのはこのためですし、蝶々は私たちが見るのと違った形の花を見ていると考えられます。また、鳥たちも紫外線が見えると言われています。  嗅覚についても、犬の嗅覚は人の何千倍も、あるいは、それ以上の感度があるそうですし、熊は、さらにその何倍も鋭い嗅覚を

          科学と聖書にまつわる随想(9)

          科学と聖書にまつわる随想(8)

          「光と闇」  現代の私たちの生活には欠かせないコンピュータやエレクトロニクスにおいて、半導体が用いられていないものは無いと言ってよいでしょう。半導体技術が依って立つ固体電子工学の分野においても、直観的にはなかなか理解の困難な事柄があります。  トランジスタや集積回路(IC)などに用いられる半導体材料はシリコン(Si)ですが、純粋なシリコンは金属ほどには電気を通しません。かといって、全く電気を通さない絶縁物でもないので“半導体(真性半導体)”と呼ばれます。元素の周期律表で、

          科学と聖書にまつわる随想(8)

          科学と聖書にまつわる随想(7)

          「粒子性と波動性」  科学を突き詰めて行くと、とどのつまりは哲学に行きつく、ということについては、真摯な科学者なら誰しも同意するところではないかと思います。もちろん、自然科学は実験事実に基づいて仮説が検証され、最も合理的に事実を説明できるように理論が構築されて行く訳ですが、その理論が私たちの日常生活レベルの直観的な感覚では少々違和感を覚えるようなものになることも多々あります。例えば、量子力学や相対性理論はその典型ではないでしょうか。  1905年にアインシュタインは光電効

          科学と聖書にまつわる随想(7)

          科学と聖書にまつわる随想(6)

          「有限と無限」  熱力学第二法則は、“秩序から無秩序へ向かう変化”が自然界の普遍的な流れであることを示唆していますが、進化論はこれと全く逆の向きの変化が自然に起きることを主張している訳で、多くの人がそれを当たり前のように信じているのは不思議です。  天地創造の直後の状態は“非常に良かった”のに、人が「善悪の知識の木」の実を取って食べ、創造主との“契約”を破ったところから崩壊が始まってしまった訳ですが、そうすると、創造主の創造の業は失敗だったのでしょうか?  自然界の物理

          科学と聖書にまつわる随想(6)

          科学と聖書にまつわる随想(5)

          「最初は良かった」  自然界は急激な変化を嫌いますが、少しずつ徐々に変化していることも確かです。特に、地球温暖化などの気候変動の問題は、この点において近年で最も話題になっている事柄の一つではないでしょうか。では、その変化はどのように起きている、つまり、どこに向かって進んでいるのでしょうか?   そのヒントとして、“熱力学第二法則”について考えてみたいと思います。これは“エントロピー増大の法則”とも呼ばれ、孤立系(外界と物質やエネルギーのやり取りをしない独立した系)の内部で

          科学と聖書にまつわる随想(5)