夏と音楽についての長文
仕事に用事など気を緩められないものが立て込んだので、7月から意識的に本を絶っている。
日常で本を読み進めていると、電車を乗り過ごしたり仕事中に続きが気になったり私の意識は簡単に逸れるので対策が必要だ。いい大人のくせしてほんとに駄目なやつなのである。
代わりに音楽を聴こうと、久しぶりにイヤホンを引っ張り出してきて電車に乗ることにした。
はじめに、iPhoneのAmazon musicアプリを立ち上げ、家事中に流す曲をメインに好きな曲をどんどんダウンロードする。以前に音楽をよく聴いていたのは出産前のランニング中で、そのころはiPod nanoを愛用していた。なのでこの端末で音楽を聴くのは初めてで、画面に並んでいく曲のタイトルを見ているとわくわくした。
ここ数年の春夏はエレクトロニックのアレンジが効いたロック/ポップをよく聴いている。今年のビルボードチャートにも好みの曲が多い。耳にサウンドが残るくらいの重低音とキャッチーな音が好きである。
他のことを考えず、ただただ気持ちの良い音に合わせて頭の中で歌詞をそれっぽくなぞりながら過ごす。1曲が数分で終わるので、合間に通過駅を確認できるのもいい。電車からきちんと降りられるし仕事場ではイヤホンを仕舞える。
ところでこのアプリは、私をターゲットにしていて、曲をおすすめしてくれるシステムがある。ビッグ・ブラザーめいていて追跡そのものにあまりいい気はしないのだけど、わりと的確に好みの曲を推してくるのでなんとなく受け入れてしまっている。
7月末の朝、もう一駅で電車が仕事場のある駅に着こうかというとき、アプリ上にはじめて見るミックスリストが提案された。何気なくタップした先の1曲のタイトルに驚き考えるよりも早く指が動く。ギターのイントロとシンプルなドラムのビートがイヤホンから流れてきて、心臓のあたりが縦ノリをはじめ、パンプスの内側でつま先が踊り出す。サビ部分に合わせてマスクのなかで声を出さずに歌う。歌えることに自分でも驚いた。
なんでこの曲がここに。
学生のころによく聞いた曲だった。音楽をよく聞いていた中高生のころ、趣味の合う先輩や友人とアルバムを貸し借りし、小さな街に唯一のCDショップや雑誌で、新譜のチェックをした。通学リュックに必ず入れていたCDプレーヤー、オリジナルのコンピレーションで組んだMD。ちっとも上手くならないピアノにコードを押さえられないギター。気になる曲がラジオで流れるタイミングを狙って録音したカセットテープ、それを何度も巻き戻し停止を繰り返して書き起こした怪しいカタカナの歌詞を綴ったノート。
「タワレコ」や本物のバンドのライブに行きたいと憧れていた日々。
そんなことが唐突に思い出されて、これまで無為だったと感じていた学生時代のことを、急に、楽しかったなあ、なんて思った。地元を離れてからタワレコにも大型のTSUTAYAにも何度も足を運んだし、大好きなバンドが来日した時にはライブにも行った。家庭ができて好き勝手に動けなくなったけど、かわりに手間をかけずに指ひとつでハズレなしの最新曲を見つけられるようになった。
でもたぶん、私がいちばん音楽と距離が近かったのは10代のころだ。救われていたのかも、と臆面もなく思った。
好きな曲は年齢と時代とともに移り変わりるしアーティストも自分も変わっていくしで、新曲を追うことに慣れ、曲を聴いて懐かしむなんてことをしたことがなかった。けれどそうか、あのころ繰り返し聴いた曲が私にとっての「懐メロ」になるんだな。
気分が学生時代の根拠のない明るさに感化されたので、リピート再生して仕事場までの道をちょっと冒険しながら歩いた。人通りが少ないのをいいことに音に合わせて飛び跳ねてみたりした。
なんだか思いがけずおもしろい朝になった。
(偶然かマーケティングか、私の柔らかい部分にアプリが働きかけたのがおもしろかったです。ちなみに冬はフォークロア調の曲と幻想的なサウンドを求めます)
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