文学フリマ東京35
十一月十八日金曜日は、ポケットモンスターの最新作、スカーレット・バイオレットの発売日であり、ボジョレーヌーボーの解禁日であった。アマプラではシン・ウルトラマンの配信が始まった。二日後に始まるカタールワールドカップの話題も大いにメディアを賑わせ、帰宅時に鉄道車内の各種広告や、スマホの画面でニュースを眺めているだけでも、この世界には愉快で楽しいコンテンツばかりが溢れているように思われた。
十一月二十日日曜日の朝、滅多に使わないスーツケースを曳いて家を出た。自著、会計用の道具類、ブース用の掲示物、筆記用具その他を最大限に詰め込んでいる。さすがに重い。
浜松町へ向かう車内のロングシートの隣席では、中年男性がスマホで昔のFFを遊んでいる。ⅠからⅥのどれかだと思われるが、正確には特定出来ない。反対側の若者はスイッチでスマブラをやっていた。
東京モノレールの空港快速は、途中駅には一切止まらない。浜松町を発車すると、次の停車駅は羽田空港第三ターミナル駅である。今日の目的地である流通センターに行くためには、各停に乗らなければならない。各停の乗客にも、スーツケースを曳いている者が少なくない。その中の何割かは、旅行者では無く文学フリマ東京35の出展者であり、また何割かは、このイベントのために遠隔地からやってきた、旅行者兼出展者であろう。
往路、文学仲間の松岡さんにラインで連絡を入れる。今回は、松岡さんのブースからスペースを恵んで頂く形で参加する。
駅に着く。客の過半が降車したように見える。エレベーターで地上に降りると、既に中々の賑わいを見せている。起床時から何も食べていないので、腹が減っている。高架下のゆで太郎にて大根おろしの小鉢が付いたかけそばを食べていると、松岡さんから駅に着いたとの返信が入る。合流し、会場入りする。
パンフレットを入手し、シャツの左胸に出展者シールを貼る。パンフは以前より何だか薄くなったような気がする。展示スペースは、出展者一組に対し、長机半分。つまり、一つの長机を出展者二グループで等分する。自分達のブースは左側で、右側は単独参加の女性の方であった。与えられたスペースに、松岡さんの近著『東京フリマ日記』、新旧の自作CD、若い仲間である、流れ水タワシさんのコミックエッセイ、そして私の本などを並べて行く。自著はいずれも新書本サイズ、かなり以前に作ったもので、勿論全て自費出版物だ。
テーブルクロスや展示用のスタンドを松岡さんが用意して下さったので、良い感じの見た目に仕上がる。特に、組立て式のスタンドは、限られたスペースを立体的に有効活用出来る、優れたアイテムだ。周到で濃やかな心遣い。素晴らしいと思う。自分が持参したアイテム類は、さほど役に立たない。ガムテープとマジックを少し使ったぐらいだ。
準備作業をしていると、二人組の女性が、株式会社noteのロゴが入ったエコバックを配りに来る。この年末に株式上場を予定しているという。そう言えば、少し前にIPOで名前を見た気がする。
開始予定時刻一分前、主催者からのアナウンスが会場に流れる。今回の文学フリマは、史上最大規模であるという。開場宣言がされると、広い会場の全体から大きな拍手が起きた。
パイプ椅子に座って客を待つ。十三時半を回った辺りから、人の動きが本格的に活発になる。松岡さんは様々な方面にリアル知人・友人が多く、またファンも多い。今日も少なくない数の来訪者が来る。そのたびに『東京フリマ日記』をメインとした著作物群が着実に売れていく。
『東京フリマ日記』には、松岡さんが十年ぐらい前の文学フリマに、単独参加した時の体験談が収録されている。会場は、今日と同じ流通センターだ。文学フリマの体験談を文学フリマで売る、自己言及的な構造、リサイクルシステムが成立していると言えるのかも知れない。
タワシさんのコミックエッセイも、十五時過ぎには完売となる。最後の一冊を買っていったのは、松岡さんとタワシさんの共通の知人だという。自分の本だけが、ほとんど誰からも手に取られることが無く、全く売れる気配がない。ごく稀に、立ち読みする人が居ても、少し目を通しただけで首を傾げて立ち去る。仲間の著作物が売れていくごとに、自分の本を置くスペースが少しずつ広くなる。焦燥と憤怒が時と共に蓄積されていく。
左隣のブースでは、男性二人組が浩瀚なハードカバーの訳詩集を販売している。次から次へと、途切れることなく来客があり、その高価そうな本が、飛ぶように売れていく。圧倒的だ。会話を聞いていると、どうもこの二人は、最近新しく出版社を立ち上げたらしかった。
会場には、これほど多くの来場者が居るのに、誰一人として僕の本を買わない。この惑星には、六十億人の人類が生息しているのに、誰も私を認めない。孤立感。世界人類全体に対する烈しい敵意が、血管の中で増幅して体内を駆け巡る。久しぶりの感覚だ。自分が生きていることを再確認出来る。生の実感がここにある。
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今ここで龍に化してもスライムに化しても地獄の火炎を吐ける
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全人類を焼き尽くす核ミサイルの発射ボタンが、もしこの時、眼前に置かれたら、ためらうことなく押していた。誰か、地球破壊爆弾を持って来い! 持ってきてくれ! 早く!
私の自我と自意識の硬さは、ダイヤモンドに匹敵すると思う。吾が精神は、憤怒の炎の高熱の中で結晶化した、ダイヤモンドなのだと思う。僕はダイヤモンドだ。
十六時頃、旧知の年輩の詩人、ツツブチ氏がやって来て、自分の本を買ってくれる。ここでやっと一冊だ。神か仏のように見える。有難い。救われた。救世主だ。今日の所はひとまず、世界六十億の愚民どもを赦してやろうという寛大な気持ちになる。氏は私を救うと同時に、全人類を救ったのだ。
終了間際にもう一冊、全く知らない高齢男性が立ち読みに来て、一冊買ってくれる。表紙のコミュニティバスの写真が気に入ったとのことであった。
ダイヤモンドは砕けない。しかし自ら輝かない。必ず光を必要とする。
結局、今日の自著の売上は計二冊。欲張って大量の自著を持ち込んだが、その重量のほとんどは徒労となった。だが、かろうじて、売上を記録し、最悪の事態は免れた。
開催時間のほとんどを、焦燥とともにブースに貼りついて過ごした。途中で他の参加者のブースを見て回る心理的余裕は全く無く、怒りのために便意すら忘れていたような気がする。トイレのついでに流通センター内のローソンを覗いて、長蛇の列を確認しただけであった。
左隣の参加者と協力して撤収作業を行う。椅子を畳んで、長机を所定の位置まで運ぶだけなので、すぐに終わる。外に出ると雨が降っている。モノレール流通センター駅は当然の大混雑だ。大森方面へ向かうバスのバス停にも列が出来ている。
満員のバスを終点で降り、大森駅近くの居酒屋で、反省会を行う。最近の松岡さんは、「総括」という言葉がお気に入りらしく、この言葉を好んで何度も用いる。仲間内で凄惨な集団リンチを行って自滅した、昭和時代の左翼過激派が、制裁を行う時の用語だ。この言葉を用いる時だけ、ひときわテンションが高く、目が輝き、溌剌としている。おそらくは山本直樹のマンガの影響だろう。
ボクは心の底からの非暴力主義者で、平和主義者なので、黙って大人しく聴いていた。
また、松岡さんは、この店のメニューでは、キャベツと塩昆布のサラダが気に入った様子であった。わざわざ愛用の一眼レフカメラを取り出して接写していた。
会場で配布された文学フリマの円いシールは、後日スマホの裏側に直貼りした。