#209 [哲学] 物語が動き出すのはいつだって帰納法が崩れた時だ。
第30週 第6日(土)哲学「帰納法」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は哲学「帰納法」です。
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本の要約
ある事柄について、「過去に○○だった」という事実から、「それは常に○○である」または「今後も常に○○であるだろう」という結論を導き出す推論のことを、帰納法という。
例えば私たちは、太陽は今までずっと朝になれば昇っていたので、明日の朝も昇るだろうと考える。私たちが世界について抱いている考えの大半は、機能的な推論に基づいているのである。
帰納法は確実ではない。太陽が爆発するか何かして、昇らない可能性だってある。帰納法を用いる場合、この根拠なら必ずこの結論が導き出されるというわけではないが、その結論になる可能性は極めて高い。
ただし、過去と同じことが未来にも起こると考えてよい正当な理由は何なのか、根拠はまだない。
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臨床実験なんかも帰納法に基づくか
治験などで、一般販売をする前に投薬をして何か異常はないか、効果は発揮されるのかを実際の被験者を使って実験する。
これは、つまるところ実験結果によって販売ができるかどうか決まる。
「良い傾向が見られた」「副作用は軽度なだった」という過去のデータがあるから、今後も同じような傾向になると信じて一般販売にこじつける。
完全に帰納法に基づいた考え方。
そう考えると確かにこの世界は、ほとんどが帰納法によって物事は進んでいる気がする。
過去のデータを知るということは、それが正しいかどうかという判断材料になるということだ。
ただ、過去がこうだったから絶対にそうなるという思い込みは捨てたほうがいい。前例のないことだって起きる。その前例のない部分を探して、いかにして対処するかが一番の問題だと思う。
いま、こうやって教養本を毎日読んでいる私の選択は、現段階では分からないが、未来の選択を良い方向に持っていける可能性を含んでいると信じたい。