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#153 [哲学] 正当化された真なる信念
第22週 第6日(土)哲学「認識論」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は哲学「認識論」です。
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本の要約
認識論とは、知識を扱う哲学の一分野だ。知識とは「正当化された真なる信念」だと定義している。
■第一
知識が信念であるとは、何かを知るためには、それが正しいと信じていなくてはならないという意味である。
■第二
知識が真でなくてはならないのは、偽であるものを本当に知ることはできないからだ。
■第三
真の知識が正当化されているというのは、その信念には理由がなくてはならないということである。何らかの真なる信念を形成しても、その信念が知識とみなされるには、理由が必要なのである。
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「偽の納屋」
例えば、あなたは今、どこかの地方をドライブ中で、外に目をやると納屋が見える。あなたは「あれは納屋だ」という信念を形成する。これは間違いなく正当化された信念だ。それに、真なる信念でもある。ところが今見たのは、じつは本物の納屋ではない。あなたは知らないことだが、ここは偽納屋町といって、住人の大半は納屋を建てない。建っているのは、外見だけが納屋のように見える建物だ。よって、あなたは偽の納屋を見て偽なる信念を形成したのだから、それは知識ではないということになる。ゆえに、「正当化された真なる信念」がすべて知識だとは限らないのである。
※哲学者エドマンド・ゲティアの1963年の論文から。
知識の導入としては良いと思う。
知識としてインプットする最初の段階では「正当化された真なる信念」というものは大事かもしれない。
最初から疑ってかかっていては、いくら時間があっても足りない。とりあえず信じてみて、その後に違うケースを考えてみるほうが効率は良さそうに思える。すべて最初に知ったことを信じて、それ以外の知識を身に着けないやり方ではその最初の知識だけに依存して世の中を狭めてしまう恐れがある。
知識は常にアップデートしていこう!