#146 [哲学] 時間とはなんなのか?
第21週 第6日(土)哲学「時間」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は哲学「時間」です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本の要約
アリストテレス以降、哲学者たちは時間の本質を理解しようとしてきた。アイザック・ニュートン(1642~1727)が絶対時間の概念を提唱して以来、多くの哲学者は、時間とは多くの部分に分かれたものだと考えた。つまり、時間はひとつながりではなく、個別に区切られたいくつもの「時間」があるというのだ。こう考える哲学者にとって、ある出来事が特定の時間に起きたというのは、その出来事が時間のその部分、つまり、ある単位を占めていることになる。
■ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646~1716)の主張
ある出来事は、別の出来事の前に起こるか、後に起こるか、同時に起こるかのいずれかである。時間とは、この関係を私たちが頭の中で整理するための方法に過ぎない。この関係の中に存在する事物とは別に時間というものが存在するのではない
■イマヌエル・カント(1724~1804)の主張
時間はそれ自体で存在するものでもなければ、それ自体で存在する事物の関係を示すものでもない。時間とは、私たちの精神が私たちの経験した事柄を整理する方法に過ぎない。私たちの精神の外で、私たちの認識とは無関係に、それ自体で存在する物事は、時間の中には存在しない。
「時間が流れる」とは
現在とは、今あなたがいる時間のことである。なぜこれが正しいと言えるのか。ある哲学者は、それはあなたと私が、現在を生きているという点で特異な存在だから。時間はたしかに流れるものだ。まず過去があって、次に現在があり、その後に未来が訪れるのである。
別の哲学者は、「今」は「ここ」と同じようなものだと思っている。「ここ」は、どこか具体的な場所を示すのではなく、あなたが「ここ」といったときに、あなたがたまたまいる場所を指しているに過ぎない。あなたと私は特異な存在ではない。時間は流れるものではない。空間と同じで、いくつもの部分を持っている。そうした数多くの部分の一つに私たちは生きている。そして、空間で私たちが占める部分が私たちにとっての「ここ」であるように、私たちが時間で占めている部分が、私たちにとって「現在」なのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
むっず…
本書の難易度がどんどん上がってきているような気がする。
自分なりに簡単にまとめると、
■時間の概念
・時間はひとつながりでなく、マンションのように個別に区切られたいくつもの部屋(時間)がある。(ニュートン)
・時間は、ある出来事を整理するための方法にすぎない。「時間」として存在するわけではない。(ライプニッツ)
・時間は、精神が私たちの経験した事柄を整理する方法に過ぎない。つまり、私たちの認識外のものには時間は存在しない。(カント)
ここにきてようやく哲学らしいテーマと向き合っている。今までは哲学者の紹介が多かったから、哲学自体をしっかり触れていなかった。
私の主張もいれておこう。
いろんな人の考えを聞いているうちに、あるものが私の考える「時間」のイメージとぴったりマッチした。
それがランニングマシンだ。
まず時間は、区切られたものでも方法として存在するものでもなく、全てがひとつながりで絶えず流れる「時間」として存在すると考える。
まさにそれがランニングマシンそのものかなと。わたしたちは「時間」というベルトの上を走る人間。足より前にあるベルト(時間)が未来、足とラニングマシーンが接触している部分を現在、それよりも後ろの部分を過去。
どう?この考え方。
新しい主張として認めてもらえないかしら。