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#27 ただの全知に興味はありません。

第4週 第6日(土)哲学「イデア」

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。

今日は哲学「イデア」です。

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本の要約

この世に数ある美しいものを全て思い浮かべてみよう。
共通点はあるだろうか?それらがどれも美しいのは、なぜだろう?

プラトン(紀元前427~前347)によると、美のイデアというものがあり、美しいものはどれも、この美のイデアと何らかの関係があるということを唱えている。

イデアとは、永遠不変のもの。さらに美のイデアはそれ自体が美しい。美しいということ以外に特徴はなく、無制限・無条件に美しい。他の美しいものには、大きさや形など追加された特徴があり、限定的に美しいに過ぎない。

個々の美しいものは、美のイデアを分かちもつという能力によって美しいのである。

分かち持つとうのは不完全な模倣。つまり、個々の美しいものは日のイデアを模倣しているが、ある程度までしか模倣できていないということ。

人間の魂は肉体が存在するはるか以前から天国に存在していて、そこでイデアそのものを直接知っていたと考えていた。真に知るということは、イデアを知ること。しかしイデアを感覚的な経験によって知ることはできない。イデアはそもそも物質界のものではないからだ。

イデアを知ることすなわち真の知識を得ることは、かつて天国でイデアについて知り得たことを想起したものにほかならない。つまり、私達が学びと思っていることは、かつての知識を思い出しているに過ぎない。

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でました、プラトンの想起説

先週プラトンについて学びましたが、まさか2週連続プラトン関係だとは。
完全にアリストテレスに行くと思ってたがハズレ。
イデア論についてもうすこし調べてみるとしよう。

イデア論を説いた書物は、対話篇「パイドン」

対話篇では、師ソクラテスがある事柄について対話の形式で語られていく。ただ、イデア論は対話篇の中で後半に当たるもので、イデア論自体はプラトンの考えを表したもので、ソクラテスの説ではないと考えられている。

ソクラテスの回を見ればわかるのだが、ソクラテスはこういった夢幻を語るような人ではない。解決できない問題に対して紳士に向き合うことで有名だ。

イデア論はなんとなく無責任にも感じる。

イデアという考えは、わからない問題はイデアという全知があるから人間には知り得ることはできないと、ある種諦めろと言われているように感じた。

知らないものは知らない、死んでからわかる。なんて言われて今生きている私達に感じることがイデアについて説かれてもそれはやっぱり考えるだけ無駄だと言われているようにしか聞こえない。

どういった意味でこのイデア論と向き合えばいいのだろう。

悪夢のポークソテー。

昨日、夜ご飯にポークソテーを食べていたらその中にハエが入っていたことに途中で気づいた。ポークソテー自体はものすごく美味しくて、気づく以前まではパクパク食べていた。なのに気づいてからというもの全然箸が進まない。ポークソテー自体は何も変わっていないのに。

さぁ、もしイデアがあるとするならば、ポークソテーのイデアはすべてを知っているわけで、ハエが入っていたことも知っていたことになる。

全知であるイデアがハエが入っていたことを知っていたとしても私達が知り得なかったらなんの意味もない。事前に教えてくれよ。

やっぱり理解に及ばず、イデア難しい。

だれか教えてくれ。イデアという存在があると仮定する人生になんの意味があるのか。何も教えてくれないのに。

結局知らないことは自分で知っていくしかないのである。
全知がどんな形であれ、私達がそれを知らない限りは意味をなさない。

本書を読んでいけば少しでもイデアという存在に近づいていけるのだろうか。そして私はただのイデアとして終わるのではなく、このNOTEを使って少しでも役に立てるような知識を残したいと思った今日だった。

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