#293 [哲学] 私たちが「何か」を経験した事実は、どうやって証明すればいいの?
第42週 第6日(土)哲学「現象学」
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365を読破しようという企画。
この本の概要についてはこちらを一読ください。
今日は哲学「現象学」です。
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本の要約
現象学とは、ドイツの哲学者エトムント・フッサール(1859~1938)が唱えた哲学だ。フッサールは、私たちの意識経験を探りたいと考えた。
フッサールの主要な目的の一つは、経験の「志向性」(つまり、経験とは必ずその経験以外の他の事物についての経験であるという事実)を研究することだった。
例えば、ライオンに追いかけられたという経験(悪夢の中でライオンに追いかけられていてもいいし、実際ライオンに追いかけられていてもいい)を持っている場合、その経験はライオンという事物についての経験である。それに対して。経験以外の事物のほとんど(例えば、テーブル、岩、あるいはライオン)は、その事物以外の何かについてではない。
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・・・はい?
例えが全くわからん。難しすぎる。
「志向性」と「認識」の謎
フッサールの現象学について詳しく解説しているサイトがあったのでそちらでわかるところまで見てみる。
実に小難しい…かなりわかりやすく書かれていると思うが、わかったようでわからない。右から左に受け流している感。
この世には主観的と客観的という言葉があるが、結局の所、「何か」を見たり感じたりするのは自分自身。それが客観的であるかどうかというのは自分自身がそう知覚しているかどうかに過ぎない。
それを「還元」や「エポケー」という考え方で詳しく解説している。
大事なのは、私たちの意識を離れたどこかに「正解」が存在しているわけではなく、何が本質であるかは、ただ私たちの意識経験のうちから見て取るしかないということだ。
多様な価値や世界観が存在し、それを受け入れる流れになっている現代。そういった今だからこそ私たちの「本質」がどこにあるのか少し立ち止まって深堀りしてみるのもいいのかもしれない。