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「里母」は、私のいくつもある顔のひとつというだけだから。
#20231028-272
2023年10月28日(土)
趣味を通じて、知り合った近所の方と少しずつ少しずつ距離が近くなってきている。
頻繁に連絡を取り合うほどではないが、趣味のことを知らせ合ったり、先日ははじめてランチをした。
学年は違うが、お子さんがいらっしゃる方なので、子どもの話題も出る。互いの子どもの名前や顔も知っている。
あくまで、好きなものが同じというお仲間だ。
我が家が里親家庭であることはいっていない。
私たち夫婦は、里親であることをオープンでいようと決めた。
それは里子であるノコ(娘小4)を委託されてからも変わらず、今もその気持ちは変わっていない。
子どもがいる暮らしの話になると、「子どもができてから」「子どもを生んでから」ではなく、私は「子どもが来てから」といってしまう。目に残る文字ではなく、お喋りだからか先方もさらりと聞いているが、聞き間違えだと思っているのか、実はきちんと聞き取って違和感を抱いているのかはわからない。
里親であることをオープンでいたいといいつつも、口にするのをためらうのには理由がある。
打ち明けたことで、こちらはスッキリするが、相手の負担になるかもしれないからだ。軽いお喋りにも配慮を強いてしまうかもしれない。
社会的養護に関心にある人には、私の地域でのことだが、知っていることをお伝えすることはできる。でも、世の中にはそういうことを知りたくない人もいる。
ノコの特徴ある個性が里子だと知ったことで、「里子」というフィルターを通して見てしまうかもしれない。もちろん生い立ちによるものもある。でも、すべてがすべて、そう受け取られてしまうのもしんどい。
家族という関係がわからず、ほかの家族の輪にまるで一員のように加わってしまったり、他者との距離感が近過ぎることがある。里親同士なら「あぁ」と苦笑で済むが、実子のみを持つ親御さんには説明をしなければ伝わらない。説明するのが苦なのではない。相手がその説明を聞きたいか、だ。
「里親家庭」ということをどう受け取り、どう扱うかはお相手の自由だ。
気軽にひょいと渡してしまえばいいのかもしれない。
だが、発した言葉はなかったことにはできないから、慎重になってしまう。
とはいえ、私が産んだかのようなふるまいもできない。
宙ぶらりんな私の言動が不審に思われませんように。そう願いながら、私は距離をはかっている。
趣味のお仲間なのだから、趣味の話はいっぱいしよう。
「里母」は、私のすべてではない。
私のたくさんある顔のひとつだ。
隠しているわけではない。
趣味の顔で話すうちに、ちらりちらりと側面にある「里母」の顔が見え隠れするのは自然なこと。
流れにまかせよう。
隠す必要もないけれど。
あえて、ぐいっと首をまわして趣味のお仲間に「里母」の顔で話すことはない。
きっとそのくらいの感じがちょうどいいんだ。
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