子どもって、時間がないときに限って重い話をしてくる。
#20231209-314
2023年12月9日(土)
「最近、眠れないんだよね……」
ノコ(娘小4)が夕餉の食卓でつぶやいた。親子丼の具を箸先でつつき、口に運ぼうとしない。
今日から来週末にかけて、ノコの習い事が立て込んでいる。そのハードさはえげつなく、同じ習い事の保護者のなかには苦情を入れるといっているほどだ。小学校とどう両立させるか、私もむーくん(夫)も頭が痛い。
だからこそ、ノコには今のうちに宿題をはやめに済ませ、はやく寝て睡眠時間を確保してほしいのに、それが伝わらない。仕方がないといえば、仕方がないが、ノコが望んだことだからとスムーズに運ぶよう考えているのに、焦っているのは親ばかりだ。
むーくんは、このところのノコの宵っ張りで睡眠時間が減っている。
当人は無自覚だが、些細なことでノコに対して苛立つのは寝不足のせいが大きい。それなのに、ノコは何かと長引かせようとするため気に障る。
習い事から帰宅し、いつもより遅い夕食だ。
ついさっきまでノコは腹痛を訴え、食べないといっていた。それなのにオレンジジュースを飲みたいという。痛いのなら食べなくていいし、早く寝るよういえば、それは「イヤ」。ちなみに、その痛みの前には空腹を訴えていた。
いうことがコロコロ変わり、痛いといっていたのにオレンジジュースが飲ませてもらえないとわかると、食べはじめる。
「痛いのなら、無理しなくていいんだよ」
ノコの前に並んだ皿を下げようとすると、ガッと両手で皿にしがみついた。
「もう痛くないし! 食べるし!」
そういったのに、やはり口には入れない。
「なんで眠れないの?」
時間のない今、話すことではないと思いつつも私は尋ねる。
「死んだらさぁ、どうなるんだろうって考えると眠れなくなる。それから、今、大きな地震が来たらどうしようって心配にもなる」
早く行動をしてほしい時に限って、軽んじにくい話題を切り出すのはわざとなのだろうか。無意識なのだろうか。
「どうだろうねぇ。死んで、生き返った人がいないからわからないねぇ。なぁんにもなくなるっていう人もいれば、死んだ後には天国とか地獄とかに行くっていう人もいるね。それから、また生まれ変わるっていう人もいる」
「ママは、ママが今死んだらどうなると思う?」
無宗教者だからではないが、私は現時点では「何もなくなる」と思っている。そこに至った経緯はあるのだが、ノコに説明するのは難しい。
「うーん、今死んだら、ノコさんとパパのことが心配かな。ちゃんとご飯食べるかなぁ、ちゃんとお風呂に入ったり、寝たりするかなぁ。2人が喧嘩しないかなぁって。心配過ぎて、死ぬに死ねないかも」
ノコが満足げに笑う。
「はい、今は食べて。お腹痛くないのなら、食べてちょうだい」
のそのそとノコが食べはじめた。
「ねぇ、戦争のない幸せな国ってどこ?」
せっかく食べはじめたのに、また手が止まる。
「戦争がないことはとても大切なことだけど、戦争がないから幸せとは限らないよ。どんなことを幸せとするかによって、答えは変わってくると思う。今の日本は戦争はないけど、自殺する人がとても多いんだって。それって、幸せかな?」
ノコが首を傾げる。
「自分で死ぬのはダメなんだよ」
ダメだと返すのは簡単なことだが、本当にダメなのだろうか。
そこを話し出すと、食事がちっとも進まなくなってしまう。まずは「幸せ」に絞ろう。
「どんなふうだったら、幸せかな。まずは幸せな国を考えないとね。はい、サラダも食べて」
親子丼を食べ終えたノコの箸が次の行き先を迷っていた。
「学校行ってたりね、ほかの人がいるときは全然思わないんだけどね。1人になると、いろいろ考えちゃうんだよね……」
ノコもそういうことに思いを巡らせるようになったかと驚きつつも、時間に余裕のあるときならもっと丁寧に向き合えるのになぁ、と思ってしまう。
そうかといって、私が真剣に膝をつきあわせようとすると、ノコは逃げる。
「ママ、怖い」といって。
だから、まぁ、このくらいのほうがいいのかもしれない。