閑
言い間違い、甘噛み、書損じ、勘違い、うろ覚え、謎のイントネーションなどは私の愛するものです。
何の示唆にも富まないものも私が愛してやまないもののひとつです。
本気噛みだって日によってはあるのが暮らし。
それは犬にもあって私にもあります。
私はそれも愛したい。
昨日もそれに出会いました。
「何でそこでそれ出てきた!?」と吹き出す面白さは安定的でお互いに一頻り馬鹿笑いして少し気持ちがやさしくなりました。
今思い出そうとしても面白さのインパクトが勝ってしまい本来の話題と正しい表現としての言いたかった言葉を失念しています。
それぐらいその場では楽しかった。
でも、今ここでそのワードを書いてもさっぱり通じないと思います。でも一応書きます。
後手、甘噛み
『ほうほう、それで?』
「コーン」
『………??!』
『わはは!』
「うふふ」
そして時はすぎて今朝、本を読んでいるとこんな言葉が今度は現れました。
「コーンサラダ」
ふーん。
…………?
二度続けて見かけたな、……?!
という事がありました。
繋がる時はつながるし、途切れる時は途切れる。
暮らしにはこんな事がとりわけ多いと思いました。
途切れたものも繋がるものもそのままに。
それが果たして何であるかを知る事は大切で実りになるし自信やきっかけや力にもなる。
でも、わからないままだとしても見聞きさえ出来るならそれもいい、そうも思います。
今後はゆっくり過ごして重なるものの響きを知りたいと思います。
確かめるところまでいくものの数となると本当にひとつふたつの話なのかもしれません。
いつもご協力ありがとうございます。
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