蕎麦屋で禅

 日焼けした紺色の暖簾の小さい蕎麦(うどん)屋で、カツ丼がどうしても食べたくなることってありませんか。

 この前もそんな欲求がやってきて、そういえば中華料理屋の隣にそんなのあったなと思って家から少し離れた蕎麦屋に初めて行ってきたんですよね。入って一発目のお姉さんの接客は味気がない。まあいい。

 畳に座って娘さん(かな?)が注文を取りにきて、外出するときにいつもしているイヤホンを外して、カツ丼と迷ってすき焼き丼セットを頼む。またイヤホンをつけて録音の深夜ラジオを聞く。違和感。

 待っている間にそれの正体にはっと気付いてイヤホンを外すわけですね。


 BGMがない。

 最近の飲食店にしては珍しいな、と思っていると、国道沿いのお店にしては静かで庭の笹が風に揺れる音が聞こえてくる。そういえばテーブルは古い木製のもので、使い込まれて艶が出ている、を通り越してすり減って地が見えてしまっている。天井を見れば実家みたいな立派な梁が通っていて、仕切りや欄間もかなり年季が入っている。外から見ているよりも建物自体がかなり古い。14時前でお客さんも少なくて、みんな老人ばかり。斜め後ろのおじいさんはカツ丼食ってる。気が長い性格ではないのに、そういうのを聞きながら、見ながら待つのは苦にならない。

 注文したものが運ばれてきて食べてると、忙しい時間が終わって厨房から出てきた店主が常連らしいご老人と話し込んでいる。静かな店内ではどうしてもそれが聞こえてくる。町内会主催の講演会が中止になったらしい。病院に行きたいけどこんなご時世だから行きずらい。違和感その2。

 電車内や飲食店の他人の会話が聞こえてくるのが普段はすごく嫌なのに、それがこの時は全くない。むしろ今の周りの環境にマッチしているとさえ思ってしまう。今いる環境の一部として、そこにいることに違和感やマイナスな印象を全く抱かない。

 ここで自分が普段どれだけ余裕がなくて、そういったものに過剰気味に反応してストレスを受けているかに初めて気づく。マインドフルになってなんだか禅みたいだ。そういえばイヤホンをとってから周りがすごくよく見える。自分が今いる環境の一部になっていることが、なんだか嬉しい。

 お会計を済ませて外に出ようとして、エントランスが天井の高い広ーい土間だったことに初めて気付く。店に入った時の自分は目が開いてなかったのか。

 客観が入るとただ古い静かな蕎麦屋に行って、他の客の話を聴きながらすき焼き丼と冷たい蕎麦を食べただけなんだけど、僕からすればたかだか食事代1000円程度で自分を見つめ直して自分の性分に気が付いて、その場の一部になることの喜びを覚えることができた。贅沢で得るもののあるお金の使い方だ。

 最近は(もう落ち着いたけど)外出自粛で客不足に喘いで、テイクアウトでプラスチックの持ち帰り容器に食べ物を詰めて売ることを余儀なくされている飲食店が多いのだけど、外メシって絶対にそれだけじゃないですよね、という話。

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