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だから、もう眠らせてほしい感想文

《生》とはもちろん、そのひと、個人のものだ。
そして人は、いつか必ず、しぬものだ。

その原因が病気だとするならば、突発的になくなるのと、余命を告げられていつかなくなるのと、ゆっくりと消えていくように確実になくなっていくのと.......いったいどれが周りにとって〈少しでも気がらく〉なのだろうかと、ふと思った。
これは答えのないものだろうし、そもそも問いにすべきものでもないとわかってはいるのだけれど、ただ、思ったのだ。

応募要項を確認するために上の記事にスキを押したら、西先生がお好きだという寿司ネタが漢字で出てきたので、なんかいいことあるかな。

かなり久しぶりに、感想文を書くことを前提とした読書をした。読書感想文を書くのがもし小学四年生以来だとしたら(それ以降もあったとは思うが全く覚えていない)、約ン十年越しである。ちなみにその感想文とは国語の教科書に載っていたお話によるもので、授業中に、立って発表した。
「主人公は、澄みきった心の持ち主だと思います!」な~んて生意気にドヤったわたしに「感銘を受けました」っぽいことを言ってくださった担任のS先生、お元気だろうか?
小学校卒業から中学校入学直前まで親身になってくださっていた諸々を、今もかすかに憶えている。

十歳のわたしから約ン十年が経った現在。これ迄の西先生のnote記事のチラ見(すみません)や、幡野広志さんとのやりとり、その他SNSから、こちらの本の出版は情報として知ってはいたのだけれど、ものぐさなわたしは、買って読むまでには至っていなかった。

だが先日、上記『#SNS医療のカタチONLINE』の西先生のYouTubeライブ講演をみたことにより〈買って読まねばならない〉、そして前述のとおり西先生のnoteで読書感想文の募集がされていることも知っていた。わたしのものぐさは加速し、なぜか反転しすぐにどん詰まり気が付くと《なんとしても感想文を書かなければならない》という名の舟が出る岸辺に立っていた。

密林(とも言う世代)では売り切れ中とのことだったので、西先生の社会的処方研究所&暮らしの保健室SHOPから購入。約一週間後、スマートレターにて御本が届く。封入してこの宛先を書いてくださったのは西先生なのかな.......思わず写真撮影。折角だからアップしとこう。

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前置きが長くなってほんとうに申し訳ないのだけれど、あともう少しだけお付き合いを。これまたわたしの個人的なお話……。

わたしは長文でものがたりを紡ぐことに、挫折した人間だ。勿論いま詩を書いていることと無関係ではない。短い文に、自分のありったけを込めて放つほうが得意だったのだ(というか、大好き)。だからたとえ読書感想文であっても、長文を書くこと自体に独りよがりの抵抗がある。なので敢えて気の向くままタイピングしていく。意味がわかりにくい部分もあると思うけれど、頑張って書くので、引き続き読んでもらえたならば、とても嬉しい。

わたしは日常でも、印象にのこる単語や一文を持ってきて、愛でることが楽しい。なので久しぶりの読書感想文を書くにあたっても「これは!」と感じた一文を本から挙げてゆき、わたしの思いを付けていく形を取りたい。
部分的な抜き出しで大筋のネタバレにならないよう配慮したつもりだけれど、気になるかたは現時点で、読むのをストップされたほうが良いかも、しれない。

(ここでわたしが「読みながらスマホにメモっといたのはいいけど、本の該当箇所に付箋を貼っておけば良かった~」と思うことは、事前のうっすらとした予感どおりだった)
(当記事のヘッダー画像の本は、その後のちいさな闘いの跡・笑)

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「入院……させてもらえるんですか。ありがとうございます……」

ひとつめ。
既に病状が末期であった六〇代の男性が、これ迄の病院では体調の悪さを訴えても入院させてもらえず、結果的にたらい回しとなり、西先生の病院でやっと入院が決まったときに発したことば。

その場でいちばんしんどくて辛いはずの、御本人からのお礼。今の世相ではよりいっそう我が身に迫ってくる。ちょうどいいタイミングで入院させてもらえるって本当に有り難いことなんだな.....と、ついどこか、歪んだような思いが湧いてきてしまうのは、否めない。

男性は入院中に(コップに注がれたソーダの)泡を見ていると飽きない」、とも言っていた。わたしも最近よくソーダを飲むので、あのシュワッとしたのどごしが心に浮かんだ。

そして或る日、降る雨の名前を思う。

誰も証人がいない人生よりも、少なくとも一人は生きていたことの証人がいる人生のほうが少しはましなんじゃないかなと思ったりするんですよね。

死にたいの向こう側の困りごとについて話し合うチャンスがなくなってしまうんですよ。『死んじゃだめだよ』って説得するんじゃなく、何で死にたいのかを聞いてくださいってことなんですけど(後略)

ふたつめ。
精神科医・松本俊彦先生のことば達。
松本先生と言えば依存症がご専門で、多くのメディアに出演、関連記事を出されていることは、常にTwitterのタイムラインを追っている者であれば何となく知っているような気がする。同じ理由により松本先生がヘビースモーカーでいらっしゃるのもなんとなく知っている(違っていたらごめんなさい)。

引用した文についてなにか書こうとしたんだけれども、正直わたしにとってはこの部分がすべてかもと感じるので、付け足しするのはやめておく。

.......あなたは、さいごのときだとしたら、その手にはいったい何を、にぎりしめていると思う?

それとも、未来のことがわかったら、僕は強くでもなれるんですか

みっつめ。
西先生が、Yくんという患者さんと、彼自身の現在の病状について話そうとしていた会話のなかで、最初から一貫して奥さんと西先生にすべてを委ねていたYくんが、すこし強めに発したことば。

そうだよなぁ、と漏れた。おこがましくも、もしわたしが西先生だとして、患者さんからこんなことを言われたら、なんにも返事ができないと思う。今のところ健康っぽいわたしでも、仮に未来のことが分かったとして……自身がどこか「強くなれる」とは、到底思えない。おかれている情況がまったく違うから、その意味合いもだいぶ異なるけれども。

貧困のなかで、相互援助なんてできないって状況における個人主義だから、それはとても寂しい個人主義。

その始める時期を患者にタイミング取らせてあげるってことは大事だと思っているの。そこだけはせめて渡してあげないと、医療者がすべての線を引いて、価値観も、始める時間も、薬の投与方法も量に至るまで、医療者側に寄せて決められているんだから

「欲望を換金する」
安楽死をお金で解決しようっていうのは、言うなれば『保釈金』だよね。
人生の保釈金。
(中略)

欲望や感情は、換金することで形になるのが社会の仕組み。

よっつめ。新城拓也先生のことば達。
新城先生は、神戸の緩和ケア病棟にながく勤務されたのち「しんじょう医院」を開院、現在は訪問医療を中心に、地域における緩和ケアを行っていらっしゃる。西先生同様、終末期における鎮静、そして安楽死について考察を深めておられる医師のおひとり。
こちらは西先生が学会で神戸に行かれた際、お二人でお話しされた内容から。

……わたしはあんまり頭がまわらない人間だけども、西先生とはまったく違った切り口からお話しされていることだけは、はっきり分かる。

社会には「格差」が存在する。事実、みな暗黙了解のことではあるが、更にいま急速に拡大し続けている。そしてその格差は『人生の終わらせかた』についても、今後、影響を及ぼしていく可能性があるという。

その格差ありきで(各層に)個別のアプローチをするよりは、(緩和ケアにおいては)少しでもその格差を小さくしたいと、西先生はおっしゃっている。

.......格差は昔から、というかいつの時代もあることだけれど、さいきんは《下層に居ること》自体が、ゆるされなくなっている気がする。
存在してはいけないのだと無言で世間にさとされ絶望する瞬間が、いつでもすぐ隣に在る気がする。

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.......わたしも此処まで書いてきて今はじめて気付いてハッ!としたのだけれど.......既にこの本を読まれたかたは、違和感を感じられていると思う。

抜けてる。そう、抜けている。

しかしこれはわざとではなく、何故かわたしはその範囲に、こころの付箋を貼らなかった。少しも共感しないわけはないし、なんにも思わなかったわけでは決してないのに、むしろ本を読む前からその存在を知っていたのに。何故なのだろう。読んでもらうためのきっかけを作ろうと狙うほど、わたしはかしこくない。
最初の文章の抜き出しの段階で「無かった」のである。
とても不思議だ。

このぼんやりとしたところからどのように話をおさめたらよいのか分からないので、ひと息つくために、この本の密林のリンクを、貼ってみる。

最後に。
わたし個人としては、キエタイとかそういう類の気持ちを持つことは往々にしてある。おおよそ健康体だけれども、他のひとよりもそう思う頻度は高いんじゃないかな、とも。でもそれをあらためて誰かに聞いてほしいとはあんまり思わない(余計な心配かけるだけだし)。

でももし、誰かがわたしにそういうことを話してくれたら.......否定はしないけれども「わたしの我が儘かもしれないけど、わたしはあなたに生きていてほしいよ」と言うと思う.......けれど、やっぱりわからないな。

「ネガティブ・ケイパビリティ」帚木蓬生
こちらはまだ未読なのだけれど、先出のYouTube講演の中で、西先生が紹介されていた御本。

ものごとを《曖昧なまま》にしておくチカラ、について。

この記事を読んでくださったかたで、もしお気が向かれたら、感想文の応募が締め切られたあとくらいにまた、こちらを覗いてくれると嬉しい。
多分また少しずつ変わっていくと思うから。

ひとまずこの辺で、わたしの三十年ぶりの読書感想文を終わりとする。

好きな飲みものを選んで、いい夏にしたいな。

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