vol.1 机上の空論からNPOへ
この度、新しくnoteのアカウントを作りました。大まかな背景には、以下の通りです。
大学卒業の3月までは、良い/悪いは括弧に入れても、どうしても関心のベクトルは内側にならざるを得ないフェーズになりそうです。
もちろん、リアルで、みんなの見えないところで向き合う・踏ん張ることはあるけれど、外に向けて発信することは大事にしたいと思っています。
つまり、ちゃんと内側で育み、磨いたものを外に向けて昇華する仕掛けを作ることは、現場に入った後も、自ら実践を創ることにつながるのではないか?というところが背景になります。
今回は、"今の自分の教育観が形作られたプロセス"を追ってみます。
ありがたいことに、大学4年間で、多くの方々と様々な現場と関わりを持ち、スポンジのように吸収してみたり、生みの苦しみを味わいながら自分の手で創り出してみたりなどをしてきました。
教育という営みに関心を持つようになったきっかけを別のアカウントでは書いたのですが、実際にここまで、どのような実践と思考を積み重ねてきたかの部分まで触れることができず頓挫しておりました。。
ということで、大学2年~4年までの間で実践したきたこと、その中で教育観の土台がどのように育まれ、つながっていったのかを追っていきます。
教育格差をいかに乗り越えることができるか?
「教育格差」という言葉に出会い、自分にとっての当たり前が当たり前ではなく、自分は頑張れる環境にいたことに気づいた時に、この”理不尽”をどうにかできないのか?という使命感に近い感情が生まれました。
この時期は、教育社会学の論文や学校教育に関する書籍をひたすら読み漁っていました。今振り返ると、こんな大学1年生は自分でも怖いですが😅
この時期の地道の読書と思考の積み重ねが、すごくその後に活きてきたと実感しています。
ずっと考えていたのは、「教育の可能性」「教育には何ができるのか」という問いでした。
そして、大学1年生の2月くらいから、いわゆる「活動」を色々と手を出すようになりました。SNSなどを見ると、様々なことに前向きに取り組んでいる同世代にあこがれ、嫉妬し、何もできない自分に劣等感がありました。このネガティブな感情が当時の自分を突き動かしました。
そんな中、ご縁があったのが学生団体Teacher Aide。何か団体内で結果を残したわけでもなく、コミュニティにいるだけみたいな状態でしたが、ほんとうに尊い出会いが数多くありました。
コミュニティの中で大学外の同級生とも数多く出会い、有志の勉強会などもやったりしました。その時の資料に自分の教育観が表れています。
NPOセクターでの実践を取り組んでみる
自分にできることはないだろうか?と考え、色々リサーチする中で、社会貢献の意識がある自分にヒットしたのはNPOセクターでした。
まずはLearning For Allでの学習支援プログラムへの参加。実際に、都内の小学校の放課後教室で学習支援に参加しました。
研修やリフレクションがとても充実しており、ここで言語化して深めたものは今も確かな土台となっています。
初めて「教師」という立場になり、小学生との関わりや授業をつくることは、とても創造的であり、試行錯誤できる余白があるのがおもしろいと思いました。
プログラム修了後も、別室登校や、公民館、居場所の拠点での活動とも接点を持つことができ、学校に限らない多様な学びの場があることを実感できました。
LFAと同じ時期にTeach For Japanのインターンにも参加しました。
フェローのアラムナイをゲストとしたイベントを企画から集客まで行う内容でした。
当時は、フェローの方々は、はるか雲の上の存在で、自分がフェローとして現場に行くなんて、夢の夢だと思っており、そもそも進路の選択肢にもなりませんでした。。
このように、とにかく「変わっている」「挑戦している」という感覚が2年の前期は特に色濃かった記憶があります。
塾でけテぶれをやってみる
今日主に書いたNPOでの活動と同じくらいの時期に、大手の中学受験の塾でアルバイトも始めました。
勤務した1年間は、制約のある中で自律と協同の感覚を育むために試行錯誤しました。
次回以降は、1本別の記事を挟んで、具体的な実践の過程に焦点を当てたいと思います。