友人とはいいものだなと思った
各所で話題になっている菅さんの弔辞。
二人がどのような会話をしてどのような時間を過ごしてきたか想像することもできないけど、心と心がそのまま通い合うような関係だったんじゃないかな。なかなか得難いよ、そんな友人。
俺は誰かの友人代表として弔辞を読むことはあるんだろうか。俺の葬儀があるとして、誰が友人代表の弔辞を読んでくれるんだろう。
そんなことを考えてたら、やはり自分には誠実さが足りないと思えてくる。何者をも恐れることなく心を丸裸にして接しているか。
「自分を虚しくする」ということが、昨日よりほんの少しわかったような気がする。
世界のゴキゲンが増えるといいなって考えたりしゃべったり書いたりしてます。ありがとうございます。