友がみな我よりえらく見える日は
これは、わたしの愛読書の題名である。上原隆(エッセイスト・コラムニスト)が、様々な境遇にいる人から話を聴き、それを書き溜めたもので、12話が収められている。あとがきを読むと、内容がよくわかる。
収められている12話は、どれも淡々と書かれているが、暗く、悲惨といってもいい。誰にもおこる可能性があることばかりで、より恐ろしい。でも、これが「生きる」ということだ。こんな事態になっても生きていくしかない。それを受け止める力が人にはある。長い時間はかかっても。そう信じたい。
第一話は、作者の学生時代の友人、田島の話だ。市役所に勤めで、離婚歴あり。ある日彼は酔っぱらってアパートに帰り、エレベーターから間違った階におりてしまう。自宅のカギが開かないので、以前やったとおり、階段の横からベランダにまわり、家に入ろうとしたが墜落し、41日間意識を失っていた。気づいたら失明していて、医師から回復しそうもない、と言われている。
入院中のそんな友人に面会に行く、というところから始まる。気の重い話だ。田島はやせ細って前歯もなく、老人のようで、CDを聞くことが唯一の楽しみ…死を考えたこともあるが、やっぱり怖くて…と話す。フランス語を勉強し、翻訳家になる、という夢も当然かなわなくなった。
作者は戸惑いながらも、学生時代の思い出を話し合ったり、次回CDを持ってくることを約束して別れる。今後の暮らしは退職金と年金でやっていける。「公務員でよかったな」と声をかけて。
最後に救いの文がある。
つらいことはいろいろあっても、この人に比べれば、自分は幸せだ。そう思って自分を慰めることは確かにある。較べられた相手にはたいへん失礼なことだとわかっていても。でも、この本に書かれたいろいろな人の人生を知ると、人間の可能性はわたしが思う以上に広く、その価値は本人でなければ決められない、とわかる。読むたびに、心が広くなって、まわりの世界が少しずつ違って見えるのだ。
おわり
ヘッダーの写真は鎌倉古道の花大根、今満開です。
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