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交通誘導員ヨレヨレ日記に思う

 駅までの道には、工事中の箇所がいくつかあり、誘導員が立っている。長袖厚手の青い制服、その上に蛍光塗料の幅広テープが付いたベスト、ヘルメットに手袋、ブーツ、と見ているだけで暑くなる。みなさん礼儀正しく、会釈しながら「こちらからどうぞ」と丁寧に誘導してくれるから、ちょっと嬉しくなったりする。しかし、ご年配の方が多く、人通りが途絶えると、疲れた様子で、なかには赤いコーンに腰を下ろしている人もいる。この暑い中立ちっぱなしは辛いだろう。たいへんなお仕事だ。と思っていたら新聞で交通誘導員の本をみつけ、買い求めて読んでみた。それが「交通誘導員ヨレヨレ日記」である。

 作者は出版編集業、ライターをしていたが、訳あってこの仕事についた。2年半の経験から、現場の出来事を生々しく伝えている。驚いたことに、誘導員の仕事は車の誘導だけではなく、多岐にわたっている。マンションのタイル張替え工事の見守り(住民が足を踏み入れないため)や、仮設トイレの掃除、果ては工事業者に頼まれて、仮設トイレを仲間と運んで、道路の真ん中で倒して大騒動になったこともあるという。

 仲間とのチームワークが欠かせない誘導時も、指令が通じなくて、ドライバーから怒鳴られたり、土木スタッフから、休憩をとりすぎると警備報告書にサインを渋られたり、多難の日々だ。

一日9時間労働で1時間休憩が建前だが、人員不足や現場によっては休憩がとれないこともある。食事もトイレも我慢・・・。レアケイスとはいえ、過酷だ。

 訪問ヘルパーをやっていたころ、食事をどこでいつとるか、トイレはどこで済ませるか、は、毎日問題だった。訪問先が決まると、近くに大きな病院、地区センター、図書館、コンビニを探した。あればラッキーだが、ないことの方が多かったから、先輩から情報をもらい、パチンコ屋のトイレに行ったことも。パチンコ屋は当時禁煙ではなかったため、タバコの煙で充満していて、大音響のBGMのなかに入って行くのは勇気が必要だった。お気に入りはお寺で、たいてい参拝客のためのあずまや、手洗い場、トイレがあるので、安心してお弁当が食べられた。たまにお坊さんにあって挨拶をすると、快く利用を許してくれた。
 訪問が長引くと時間が足りなくなり、バスの最後部座席や、バス停で食べたり。このことを短詩に書いたら詩の会のメンバーから
 「どうしてお弁当バス停なんかで食べるの?もっとちゃんとしたところで食べればいいのに」
 と言われ、「わかってないな」と思ったものである。

バス停でお弁当を食べる
二十歳のわたしは知らんふり
四十代のわたしはチラリ覗き
七十代のわたしは微笑んで
通り過ぎるだろう (当時のわたしの作品)

さて、話を戻す。作者は誘導員のことを以下のように記している。

「最低辺の職業」と警備員が自嘲する現場では、高齢者を中心とする興味深い世界がある。私も今年(2019年)73歳になった高齢者だ。この世界は元金持ちや有名映画監督もいれば、この仕事がなければ、ホームレスかと思わせるひともいる。親切な人もいれば、意地悪な人もいる。
                        「ヨレヨレ日記」より

職業に貴賤はない、というが、どうなのだろう。
誰からも一番求められている仕事が尊いとすれば、交通誘導員、ごみ収集員、今、重労働が問題視されている、配達員もそれにあたる。これらの人たちがいなかったら、生活がなりたっていかない。車の上で「日本をよくするためにああだのこうだの」言っている人よりはずっと尊い。あくまで見方によってだが。

今日も出掛けると、横断歩道に立った誘導員が、旗で指示してくれた。
いつもより丁寧に会釈して渡った。

          おわり





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