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きっと、いつも見ている景色にもまだまだいいことが隠れてる。

昨日の夕方、近くの記念公園にネモフィラを見に行った。

去年、初めてネモフィラを見た。青い花が一面に広がる景色がよかったから今年もどこか見に行きたいと思っていたのだ。

天気もいいし、今日行こうかな。
ふらっと向かった記念公園は、グルメ系のイベントを開催していて休日を楽しむ人でにぎわっていた。

公園の芝生広場の一部、丘の途中に段を作りながらネモフィラが植えてある。

さっそくネモフィラと空を入れた写真を何枚か撮る。
花ばたけ越しに空を収めたり、花びらに近寄った構図にしてみたり。
わたしの他にも、ネモフィラにカメラを向ける人はたくさんいた。


賑わう公園にひとりで来たからだろうか。
写真を撮るうちになんとなくその空間におじゃましている気分になって早々に帰ろうとした。

ネモフィラは見たし、写真も撮った。

目的は達成した、はずだった。

ふと、わたしはネモフィラを見たのかと自問する。

本当に、わたしはネモフィラを見ていたのか。

目の前にはネモフィラが咲いているし、写真も撮った。
だけど、すぐに肯定ができない。
心がざわついてネモフィラを見下ろす。ああ、見るには遠すぎる。しゃがみこんで、目線の先で咲くネモフィラを見つめた。

花びらには、血管のように筋が通っているとか、雄しべは5本で、花びらも5枚なんだとか、緑色の小さく丸い膨みは何かわからないけれど、細い毛に覆われている。でも触っても、ふわふわしているのかはわかんないだとか。

しゃがみこんで、ネモフィラをじっと見ていた。観察と呼びたいところだけど、きっとそう呼ぶには短すぎる時間だろう。


ここまで見て、ようやく少し見た気がした。

そして、わたしはなんにも見えていなかったと気づく。

せっかくネモフィラが咲いている公園に来ても、ネモフィラが目の前で咲いていても、ぼんやりと眺めて帰ろうとしていた。

ネモフィラが咲く風景のイメージだけを見て、解像度を少しも上げないまま立ち去ろうとしていた。

これじゃあ、ちっとも見たと言えない。

見えていないこと、そのことに気づいてこなかったことに、なんだか薄ら寒い気持ちになった。

迷路のような暗い洞窟をなんとか進んできたのに、違う道を来ていたと気づいた時の心の寒さ。
いったい、どこから。どこで進む道を選び間違えた?そんな、ひやりとする感覚。

きっとこれまでも、表面をなぞるようにしか見ていなかった。見てこなかったから、何を見逃したのかもわからない。


あんまりにひやりとしたから、怖いとさえ思った。
だからといって、もっと見なきゃ!と思い詰めたくないのも本音。

わたしは生真面目さが抜けない。きっとこの出来事から、もっと見なきゃ、観察しなきゃって気持ちが芽生える。

そうやって勝手に、しなければいけないことを増やす。勝手に自分で、とらわれていく。

しなければいけないって考え方はどうしても窮屈さを生む。
だから、「しなければいけない」ではなく「したい」になると嬉しい。

もっと言えば、見ることが楽しめる人になりたい。

見ることが、観察することが、目に入ったものに対して問を立てることが楽しいと思えたら、もう、自然と見えるようになるんじゃないかな。

楽しいことだったら、いくらあってもいい。
子どもっぽく聞こえるかもしれないね。でも大人だからという理由で、日々はつまらなくなったり苦しくなったりはしないと思うの。
楽しいことは多いほうが幸せだと、思い込んで生きている。

だから、見ることも楽めたらいいなって。


とにかく、見えていなかった自分にショックを受けた。

なんせ気づいたのが昨日のことだから、まだ動揺している。見えるようになりたいと、切実に感じてしまった。

これからは目を開いて歩こうと、ぼんやりとした気持ちを抱いている。


・ ・ ・


じゃあ、目を開くってなんだろう。見るって、どうしたらいいんだろう。

どんなときなら、ちゃんと見ている状態に近いだろうか。

ぐるぐると考えて、思いついたのは、本屋にいるように見る、だった。

例えば、本屋にいると想像してほしい。目当ての本があるわけじゃないけど、なにか次に読む本がほしい。
なんかいいのないかな、そんな気持ちで本屋に立ちよる日を想像してほしい。

本棚の間を歩きながら、平置きされた本の表紙やタイトルを眺める。
おっ、と思った本に手を伸ばし、パラパラと中を見る。

とにかく、何かないかなと思って目の前を見ている状態、おっ、と思えるものを探している状態。これが目を開いているということじゃないか。

本屋じゃなくてもいい、服屋でも、何気なく立ち寄ったコンビニでもいいかもしれない。

棚を眺めながら、おっ、と思って手を伸ばすように、目に止まったものを見つめて、観察していけば、よりよく見えるんじゃないか。

思いついたのはそんなこと。他にも方法はあるんだろうけど、それはこれから考えていこう。


さて、思いついたらさっそく実践。最近はなにかないかなと思いながら外を歩いている。

本屋にいる気分で木々や芝生を眺めると、見えるものがふえる。あの木だけ赤い葉っぱが紛れてるとか、芝生って、細い線を集めた絵のようだなとか。

見えるもの全てに考えをめぐらせると忙しいから、全体を見つつ、気になったものに焦点を当てる。

思いつきの方法だけど、わりと気に入っている。


これまで、たくさんたくさん見逃してきた。見えてなかったことすら、わからなかった。

悔しいけれど、それはもう、どうしようもない。

それよりも、見えていなかったと気づいたことを忘れないでいたい。
忘れちゃいけない気がするから、しっかりと、自分の胸の奥あたりにしまっておきたい。

どうしたらいいのかは、これからも試行錯誤していこう。


今まで見えていなかったと、気づいてしまった。

ということは、きっと、わたしが見ている景色には、まだまだいいことが隠れてるはず。


・ ・ ・

💐お借りしたみんフォト

sassaさんのイラストをお借りしました。
リンク先のnoteには他にもたくさんのお花のイラストがあって見てるだけでほわほわ幸せです。
(検索キーワード ネモフィラ)

たいしたものはお返しできませんが、全力でお礼します!! 読んでくださり、ありがとうございます!