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味噌汁でおぼれかけた話

はろー、みのりんだよ♡
みんな元気かな?
今日も読んでくれてありがとう♡

今日は小学生のときの思い出話を書いていくね。
もし気に入ってもらえたら、♡スキ♡お願いします。

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自分ストーリー
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小学生ではなく、30歳児のありの〜ままの〜姿を書きました。

2021年10月末現在、50スキ以上いただいています。
ぜひ、スキをお願いします♪


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わたしは味噌汁でおぼれかけたことがある。

小学生5年生のときに家庭科の授業で味噌汁作りを習った。
さっそく家でも作ってみることにした。

最初に味見をしたとき、味噌汁は濃かった。
父と弟は濃い味、母とわたしは薄い味が好みだ。
できれば、間をとってちょうどいい味にしたい。

わたしはお湯を足して、味を薄めた。
そして、味見をすると、今度は薄くなりすぎたようだ。
今度は味噌を足して、味を濃くした。

お湯と味噌のいたちごっこが繰り返された。
だんだんと水かさが増してきた。
鍋から溢れたらどうしよう。
みんなが満足できるお味噌汁が作れない。

あれ、うまく空気を吸えない?
胸がつまったように苦しい。
少し頭もぼうっとするような…。
自然と呼吸が大きくなる。

完成した味噌汁が濃かったのか薄かったのか覚えていない。
家族は特に何も言わずに味噌汁を食べていた。

誰かのために料理を作ることは大変なことだと思った。
それ以来、料理をすること自体が億劫になってしまった。





もちろん、料理をしなくなったのは、それだけが理由ではない。
成長につれ、料理をする時間がなくなったことの方が大きいのかもしれない。

たまに図書館で借りたレシピ本を見て、お菓子を作ることはあった。
大雑把すぎて、たいていは微妙な仕上がりだった。


高校生の頃に料理をした記憶はない。
当時のわたしの趣味はヨガとアロマだった。
うん、仕事に疲れたOLだったのかもしれない。

大学生になってからも実家暮らしだった。
バイトと勉強に明け暮れ、自分で料理した記憶はほぼない。




そんなわたしに料理を始めるきっかけが訪れた。
大学生の後半にグループ数名で遠方に赴き、泊まり込むことがあった。

みんなで自炊をするのだが、みのりんは何も作れなかった。

そして、サラダ担当になった。
ポテトサラダやマカロニサラダではなく、普通のサラダである。


みのりんの気まぐれサラダ♡

次第に盛り付けセンスが上がっていったが、サラダ担当に変わりはなかった。

グループのメンバーが作ってくれた料理は美味しかった。

このときに気付いた。
料理を作れるようになることは簡単に幸せになる手段を増やすことだ。

そうして、わたしは料理を始めた。

当時の写真を見返すと、一人ご飯でミネストローネ、チキンのクリーム煮、タコマリネを作っている。
今のわたしからすると、なかなか気合いが入っている。




料理をするときに失敗を恐れすぎなくていい。
他人のために頑張りすぎなくていい。


小学生のわたしが味噌汁を作ったとき、正解がわからなくなった。
焦りと責任から息苦しくなってしまった。

もし味噌汁が薄かったとしても「今日は減塩食っ♡」でいいのだ。
濃い味が好きなお父さんは味噌汁にソースを加えたかもしれない。
でも、わたしのことを咎めることはないのだ。



そもそも料理を作ることは手段の一つだ。

こんな文章を書いているけれど、それほど頻繁に料理を作るわけじゃない。

わたしはコンビニご飯もインスタント麺も好きだ。

今のあなたにとって美味しいものを選べばいい。
他人に不健康だと思われてもいいじゃない。

『食物選択の権を他人に握らせるな‼︎』


勘のいい人は思うところがあるかもしれない。

けれど、君のような勘のいい人は嫌いだよ!

パクリではない。
オマージュである。
勘違いしないでねっ♡



おいしいごはんはあなたの毎日を楽しくする魔法だよ。



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ここまで読んでくれて、ありがとう。
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