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あんみつの向こう側にある無邪気さとシビアさ『春あかね高校定時制夜間部』
『春あかね高校定時制夜間部』というマンガがある。表題の夜間高校に通う生徒たちの学校生活を描いた連作短編のような物語である。
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表紙に写るのは登場人物の生徒たちで、彼らが様々に関わり合い、それぞれに語りの機会をもつ。中央に座っているブロンドヘアのワンピースが本作の語りの軸となる山岡はなおである。
今からあんみつの話をさせていただきたい。
あんみつ
私がこの作品で最も印象に残ったのは、第5話に収録されている「ちたると8月の命日」だ。たった8ページの短編なのだけど、これをもう一度読むためだけに単行本を買った。全編読み返して、やはり買ってよかったと思った。
この回のメインの語りはちたるという男子だ。はなおたちがあんみつ屋で涼を取ろうとしているところへ、仏花を持ったちたるがやってくる。タイミングも良いし「よかったらごちそうするよ」と提案するちたるに、「やったー!」「ごちになります!」と笑顔のはなお。一緒に来ていたクラスメイトが少しは遠慮しなよとたしなめるが、ちたるは「遠慮しなくていいよ」「本当に」と言う。その日はちたるの祖父の命日だったのだが、ちたるにはあんみつにまつわる思い出があるのだった。
ここで描かれているのは、幼少期のちたると現在のはなおの対比である。
ちたるが小さい頃、祖父の家に行くと米を切らしていることがあった。子供ながらに、食べ物に困るほど祖父が貧窮していることを読み取ったちたるは、祖父にあんみつ食べに行こうと誘われても、遠慮していつも断っていた。そうして、一度も一緒にあんみつを食べることなく祖父は亡くなってしまった。
あの頃の俺がじいちゃんの為にできた最高の気遣いは何だったのか
すでに高校生のちたるは、もうそれに気付いている。
「あまぁ~い超おいしい! また来ようね~」
あんみつを奢ってもらい、その美味しさを全身で表現するはなおは、ちゃっかり次回を匂わせたりもする。「こーらえんりょしておけー」というツッコミも入りつつ、それにちたるは、「いいよ」と応えるのだ。
『春あかね高校』では日常に起こる様々な出来事が描かれているわけだけれど、ギャグっぽいときでもシリアスなときでも、さらりと語られたあとに静かな余韻が残る。その雰囲気が、私は好きだ。
はなおというキャラについて、もう1つぜひ語っておきたいことがあるのだが、軽いネタバレになってしまう。これについては初見の新鮮さを大事にしてほしいので、気になるという人は第1話だけで十分なので読んできてほしい。(無料公開されている。)
読んできました?
譲れないもの
人には、人生のある一点にとても重要な譲れないものがあるとき、中規模な悩みごとというものが発生しない、ということがある。
はなおの場合、最大の関心事は(自分の着る)服だ。
「どんな制服か」は高校選びにおいてある程度の基準になりうるが、それ以外の要素はほとんど見ないよ、というレベルで重視する人はあまりいない。しかし、はなおはそうする。それは、頭のいい学校を志望しても受からないという学力の問題もあるだろうけれど、それより根本的なのが、はなおの性別である。
そう、はなおの生物学的性は男なのだ。
はなおの「好きな服着て過ごせるし」という言葉は、その意味で、重い。現代日本において、男性がワンピースを着ているのは普通ではないからだ。第1話冒頭の高校選びのコマ、これも実はミスリードを誘っていて、かわいい女子制服を思い浮かべるはなおを見て、読者は「あ~偏差値が足りなかったのかな」と想像するが、実際のはなおは女子制服のスカートを男子が着る困難さを思っているのだ。
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でも、はなおはここからがすごい。
自分の関心事に正面から向き合って、自分で高校を選び、さらに進路まで色々調べて決めてしまっている。
行動力のあるはなおは、「困ったなあどうしよう」と思ったらすぐに動き出している。夜道で迷子になっても不安になりつつエンジョイしちゃってるし、ノートを取り忘れたらクラスメイトから借りてなんとかしている。だから、月単位で悩むようなことはもう何も無くて、残る悩み事が「明日のバイトの油交換作業だるいな」とかになる。
キャラクターの一人に鉄黒よしえという女性がいて、色々あって40歳でこの高校に入学している。境遇は様々あれど年齢の壁はやはり大きい……と思うのだが、はなおはよしえと一緒に登校するくらいに仲良しだったりする。
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第1話のこの場面も好きだ。はなおにとって大事な服についての語りで、「こうすると良い」とはっきり主張しつつも「それでいてただの服じゃんか!」という軽さも見せる。
どちらか一方に留まらない。
心のなかにシビアさと無邪気さが同居している。
それがはなおの一番の魅力だと思う。
私の場合、物語の一番の語り手かつ自分と似た境遇ということもあって、はなおが最も好きなキャラクターなのだが、『春あかね高校定時制夜間部』には他にも個性豊かなキャラクターがたくさんいる。きっと、読んだ人それぞれ、どのキャラ・どの物語が自分に刺さるのかが変わってくるのだろうと思う。
気になった人はぜひ購入&通読して、自分の思い入れのあるキャラを見つけてほしい。